2013年12月31日火曜日

カンボジアへお寺参り (その6 アンコール遺跡・その3)

 アンコール遺跡はブログ2回でまとめたかったのですが、ボリュームが多く、さらに1回追加することにしました。
 左図の⑤アンコール・トムと⑥タ・プロムの二つです。

 シェムリアップでの2回目の朝は早めに起きてまだあたりが暗いうちにアンコールワットの日の出を観に出かけました。
 遺跡についてみると、あちこちから何台ものバスがすでに集まってきており、結構な賑わいを見せていました。


 そして昨日も行った、聖池越しに寺院が見える地点に急ぎます。ヒンドゥー教の寺院は西向きに建てられているので、この地点からは、日の出は寺院の後ろ側からになるのです。
 もっとも今は冬ですのでかなり右側からになるものと思われます。右図は池の周りに集まった大勢の人達です。



 待つことしばし、、、、太陽があがり始めました、が、またもや雲のいたずらでようやく左写真のシーンのみ撮ることができました、残念。

 聖池の睡蓮も少しずつ開花を始めています。


残念がる声を何度も耳にしながらホテルに戻り、少し遅め(といっても7時ごろ)の朝食です。


 食事を終えてバスの出発を待つ間に、近くの池で開花直後の蓮を見つけました。


 蓮は開花のときに「ポン」と音がでるとかでないとか、、、、でも花の底にはハスの実が育成されるべきレンコン状のものが見えています。ちなみにハス(蓮)とスイレン(睡蓮)はちがいます。


 そして周りの椰子の木の幹に飾り付けられた種々のランが朝陽を浴びていました。



 バスで再度、今度はアンコール・トムに向けて出発です。

 遺跡の位置は冒頭の図⑤を参照ください。

 アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡のつでアンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市です12世紀後半ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれており、周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されています

 また左図のように、アンコール・トムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれており、外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっています。各城門はそれぞれ塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩とされる彫刻が施されています。

 また私たちは左図の下(南、仏教系は南が正面)にある南大門から入り、順に個々の遺跡をめぐりながら、上方の北大門に向かって進みました。途中の赤い四角で囲ってある遺跡名はそれぞれ訪れた場所です。

 右写真は、南大門に入る前の濠を渡る際に両側に見える「神々と阿修羅の像」です。その先に濠が遠くまで見えています。

 左写真は南大門で、中央の塔から観世音菩薩とされる彫刻がこちらを睨んでいます。
 南大門を入って、アンコール・トムの中央にあるバイヨンにむかって、小型バスや乗用車そして象も進みます。

  バイヨン遺跡は、昨日観たアンコール・ワットにくらべるとかなり小さく見えますし、荒廃の度合いも進み、修復も遅れているように感じました。(左写真は正面ほぼ全景)

 バイヨン (Bayon) は、アンコール・トムの中央付近にあるヒンドゥー・仏教混交の寺院跡で「美しい塔」という意味です

 

 塔はどれも観世音菩薩とされる彫刻が刻まれており、「クメールの微笑」といわれる不思議な笑みをたたえています。(右写真)

 また周囲の壁にはアンコール・ワットと同様に、一面に抒情詩に関する絵が彫られていますし、建物のあちこちにもデヴァター像が彫刻されています。


 以下はバイヨン内部で見られたいくつかのシーンです。
















 ふと足元を見ると、名も知れぬ可憐な花が咲いていました。(右下写真)




 左写真はバイヨンの北出口付近ですが、発掘された遺跡があちこちに山積されており、もちろん未発掘のものも多く、今後修復がどのように進んでいくかが心配です。

 さらに北上すると旧王宮ゾーンに入り、左手にバプーオンが望まれました。

 バプーオン(Baphuon)は、11世紀中頃、ヒンドゥー教の神シヴァにを祭って建てられた3層からなるピラミッド型寺院だとか、、、、

 さらに進むと ピミアナカス遺跡がありました。 ピミアナカス遺跡は旧王宮の敷地内に建つヒンドゥー教の寺院です。スールヤヴァルマン1世の頃、11世紀初頭に作られました。ピミアナカスの意味は「天上の宮殿」だそうです。(右写真)

 勝利の門(左写真右上方向)につづく、かつて閲兵や接見などが行われたというこの広場の手前には300mにもおよぶ長いテラスがあり、その彫刻から「象のテラス」と呼ばれていたとか、、、、

 これはそのまま、、、、です。(右写真)

 この王宮ゾーンは木などの有機材でつくられており、今ではその面影すらありませんが、その壮大さは残された石の土台遺構などから推し量ることができます。

 そのまた北隣にはライ王(癩王のテラスと呼ばれるテラスがありますが、この名称は、その場所で発見されたヒンドゥーの死の神であるヤマ(閻魔)片足を立てた彫像の顔が、変色および加でハンセン病にかかった人を連想させろことに由来するものとされています。左写真は現在設置されているレプリカです。

 ということで、ようやくにして私たちのバスが待っている場所に到着し、一休みです。ここは絶好の商い場所とて、現地の人達が老いも若きも元気に声を張り上げていました。


 しばし休息を得た私たちはアンコール遺跡観光最後のタ・プローム遺跡(冒頭、図の⑥)へ移動しました。


 ここは12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡ですがそれ以上に熱帯ジャングルの大木、ガジュマルによって侵食されつつあるのを如実に観察できることで知られています。

 この寺院の入り口の門にある塔にも観世音菩薩とされる彫刻が刻まれており、ここでは歓迎、、、、(左上写真)

 門をくぐる私たちですが、頭上にはやはり細緻なレリーフがありました。(右上写真)

 お、見えました。まるで巨人が大きな手で塀を鷲掴みにしているように見えます。

 右写真や左下写真も同様ですが、その大きさを人物と比較してみてください。

 偶然に飛来したガジュマルの種子が長い時間かかって成長し、やがてはこんなになるのですが、このことは自然の力の偉大さをたとえるのによく引用されます。








 こんな荒れ果てた中庭にもデヴァター像の彫刻がありました。(右)





 でも最近では、これらのガジュマルが遺跡を破壊するのではなく、むしろ崩壊から保護しているのではないかという専門家の説もあるそうで、確かにそのような気もします。

















 家人がプルメリアの花を帽子につけていました。
 プルメリアは1年を通じて開花する性質があるため、世界中の熱帯地域で広く植えられています。花には芳香があり、ハワイではレイにも使われます。花言葉は情熱、気品、内気な乙女、恵み」で華やかさのみならず、凛とした気品も合わせ持私も好きな花です。

 さて、今日の夕方にはハノイです。

2013年12月23日月曜日

カンボジアへお寺参り (その5 アンコール遺跡・その2)

 今回はいよいよアンコール・ワットです。
正確には、左図の③を観た後、日没の時間を見計らって、④のプレ・ループ遺跡に移動し、そこからジャングルに沈む夕日を楽しもうというものです。

 昼食後、約二時間ほどホテルで休息を取ったので、アンコール・ワットに到着したのはほぼ3時でしたが、南国の日差しは強く、暑く、おそらく35度は超えていると思われます。

PR用パンフレットより
 アンコール・ワットのアンコールは王都、ワットは寺院を意味し、これを上空から見ると右写真のようになりますが、境内は東西1500メートル、南北1300メートルあり、190メートルの濠で囲まれています。
 これは寺院というよりはむしろ城郭に近く、かつて都を追われたクメール・ルージュがここに立てこもり、遺跡をいっそう荒廃させた、、、、

PR用パンフレットより
 このヒンドゥー教の寺院は上写真では、左上が西でそこから橋を渡り、西塔門から入ります。
 そして左写真の上方に見られる西塔門を経て、参道を通り、三重の回廊で囲まれ、4本の塔の中心にある中央祠堂に至るのです。
(このブログの写真や図はすべてダブルクリックで拡大します。そして左上の矢印のクリックで元に戻ります。)



 それでは右図に沿って進んでいきましょう。図中の数字は写真の撮影地点です。本文から参照しながら進みます。

 バスを降りて、私たちは①の地点から橋を渡るべく北上しました。
 そして濠越しに(図中赤矢印方向)西塔門を見たのが、下写真です。


 右端にアンコール・ワットの祠堂を象徴する5本の塔が遠望できます。

 望遠レンズで狙ってみました。中央の塔が従える4本の塔は、あのかつての映画、五所平之助監督の「煙突の見える場所」に登場する、「お化け煙突」のように見る場所によって様々なかたちを作り出しています。

 左写真は、②から西塔門に向かっているところです。この橋の復元には日本の支援も入っているそうです。
 周りの景色が広いだけに近く見えましたが、濠の幅が190mというのは歩いてみて実感できました。

 西塔門の中央入口の上にある細かな彫刻です。拡大すると、人と猿がありますが、これはヒンドゥーの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」の影響でしょう。

 濠に面した周壁のなかも見事な造りだったと思われます。ガイドさんが指差しているのは、頭上にある精細なレリーフ(写真の左下に拡大)です。



 壁にも多くの彫刻がありますが、ときおりかつての内戦時代のものと思われる弾痕のあとが残っています。(右写真右上)

 左下写真はヒンドゥー教の絶対神であるヴィシュヌ神です。


 このあたりにはデヴァター像が多いですが、右写真は「歯を出して笑うデヴァター像」です。



 この時代、歯を出して笑うことは、はしたないとされていたようで、歯を出して笑っている姿はアンコール・ワットでもこの一体しかないそうです。


 右は③のあたりにある周壁の中から中心方向にある、祠堂をみた写真です。

 そして参道をさらに祠堂目指して(東へ)進みます④。さらに途中で左に折れて、⑤のあたりから、聖池越しに眺めると、アンコール・ワットの祠堂がきれいに池に写って見えました。


 池のなかに見えるたくさんの赤い点はすべて睡蓮の花ですが、残念ながらこの時間(午後3時半)では花は閉じた状態です。
 おそまきながらカンボジアの国旗にはアンコール・ワットが描かれています。




 いよいよ祠堂に入るわけですが、わかりやすくするために、さらなる図(下)を用意しました。⑤の地点は下図ではaに相当します。


 祠堂は外周から、第1回廊、第2回廊そして第3回廊に囲われています。
 私たちは第1回廊の北西の角cから中に入り図中の赤い線に沿って進んで行きました。

 下写真は、bから第1回廊の北西の角を見たものです、いよいよです。

 ヒンドゥー教の寺院は西を正面にして造られていますので、そろそろ傾きかけた夕陽のあたり具合でそのことがよくわかります。

 右写真は、第1回廊の入口あたりcにあったレリーフで、よくみるとガルーダに乗ったヴィシュヌ神です。



 


 cからdにかけて有名なレリーフが延々と刻まれていました。これは前述したヒンドゥーの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」そのものです。




 その精緻さと多さはもとより、個々の人物、獣、魔人などの表現には圧倒されました。
 右写真は、回廊のレリーフを写したものです。

 左写真は振り返って西側の、西塔門方向を見たものです。正面に先ほどの聖池が見えます。


 ついで私たちは、第2回廊に進みました。
 右写真は、その途中、eから、第1回廊と第2回廊との間にある中庭で、左の建物が、経蔵、観光客の女性が見えているのが、第2回廊の北西の角です。


 このモノクロ写真は十字回廊への途中にあった、沐浴に使用されたという池のあとです。まさにモノクロの雰囲気でした。(f)



 この建物の柱は砂岩の一種でできていますが、その根元には写真のような欠損ができ始めており、早期の手当てが必要だと感じました。




 前方に、十字回廊の中心が見えています。そこを通過してから左折し、第2回廊へ進みます。


 ここには平戸の武士、森本右近太夫寛永9年(1632年)インドの祇園精舎と間違えて、アンコール・ワットを訪れ、回廊の柱残した墨書(落書き)がありました。
 上から墨で塗りつぶされており、よくは読めませんが、漢字らしいものが確認できました。(省略しましたが、ネットでは全文読むことができます)



 hから第3回廊の北西の角がみえました。(右写真)その中の左に少しだけ見えているのは中央祠堂の塔です。


 第2回廊と第3回廊の間の中庭から見た、第3回廊へ上っていく人達です。(i)直近にこの階段で事故が起きたとかで、私たちのツアーでは最初から第3回廊へのルートは除外が謳ってありました、残念、、、、
 下のほうには民族衣装を着たモデルさんが、撮影の声がかかるのを待っています。





 jの第2回廊の壁にデヴァターの群像をあらわしたレリーフがありました。こういった遺跡はモノクロがうまくマッチします。

 日陰に入った東側(k)で、そろそろ暗くなった中、周りを明るくするような黄色が目に飛び込んできました。


 そうです、この地のお坊さん、、、、の生徒?
 でも、西洋人はなんら興味なさそう、、、、

 ということで再び第2回廊に戻り、そこで「天国と地獄」および「乳海攪拌」の伝説をモティーフにしたレリーフを堪能して外に出ました。
写真は左が「天国と地獄」、右が「乳海攪拌」です。すでに回りは暗くなりかけていますので、レリーフの色は少し誇張されていますが、ところどころ彩色が残っているのがわかります。
 なお「乳海攪拌」については私の以前のブログタイ旅行(第6日)の最後に記述してあります。

 左写真は第1回廊の東側(前の図の⑦)から祠堂を振り返ったところです。







 右は、さらに遠ざかった、⑧から撮影したものです。アンコール・ワットよ、さようなら、、、、おっと明日の早朝に日の出を観に再度来るんだっけ、、、、



 日没の時間に急き立てられるように、バスに乗り、最初の図の④にあるプレ・ループ遺跡に急ぎます。
 ここはやはりヒンドゥー教寺院で、プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたといわれる火葬の儀式意味するとか、、、、

 左写真は遺跡の正面で、上へはこの急な階段を上るしかありません。
 「こんなことなら、あの第3回廊の階段だって登れたのに、、、、」という残念がる声しきり。

 遺跡を背に説明中のガイドさんの左下が、火葬の儀式が行われた???という石棺です。
 



 上に登ると今にも崩れそうな石塔が4本(右写真)、そして下写真が、上から見下ろした景色です。



 5時半に近く、そろそろ日没の時間ですが、雲も徐々に出てきています。

 、、、、と、そのとき雲の切れ目から一瞬太陽が顔を出しました。


 この時を待っていた大勢の観光客が手にしたカメラのシャッターを押しています、もちろん私も、、、、







 このプレ・ループ寺院の祠堂にもデヴァター像がありました。

 そんな私たちを微笑をたたえながら静かに見守ってくれています。
 まさにアンコール遺跡なのです。





  次回に続く、、、、