今回はいよいよアンコール・ワットです。
正確には、左図の③を観た後、日没の時間を見計らって、④のプレ・ループ遺跡に移動し、そこからジャングルに沈む夕日を楽しもうというものです。
昼食後、約二時間ほどホテルで休息を取ったので、アンコール・ワットに到着したのはほぼ3時でしたが、南国の日差しは強く、暑く、おそらく35度は超えていると思われます。
PR用パンフレットより |
アンコール・ワットのアンコールは王都、ワットは寺院を意味し、これを上空から見ると右写真のようになりますが、境内は東西1500メートル、南北1300メートルあり、幅190メートルの濠で囲まれています。
これは寺院というよりはむしろ城郭に近く、かつて都を追われたクメール・ルージュがここに立てこもり、遺跡をいっそう荒廃させた、、、、
PR用パンフレットより |
このヒンドゥー教の寺院は上写真では、左上が西でそこから橋を渡り、西塔門から入ります。
そして左写真の上方に見られる西塔門を経て、参道を通り、三重の回廊で囲まれ、4本の塔の中心にある中央祠堂に至るのです。
(このブログの写真や図はすべてダブルクリックで拡大します。そして左上の矢印のクリックで元に戻ります。)
それでは右図に沿って進んでいきましょう。図中の数字は写真の撮影地点です。本文から参照しながら進みます。
バスを降りて、私たちは①の地点から橋を渡るべく北上しました。
そして濠越しに(図中赤矢印方向)西塔門を見たのが、下写真です。
右端にアンコール・ワットの祠堂を象徴する5本の塔が遠望できます。
望遠レンズで狙ってみました。中央の塔が従える4本の塔は、あのかつての映画、五所平之助監督の「煙突の見える場所」に登場する、「お化け煙突」のように見る場所によって様々なかたちを作り出しています。
周りの景色が広いだけに近く見えましたが、濠の幅が190mというのは歩いてみて実感できました。
西塔門の中央入口の上にある細かな彫刻です。拡大すると、人と猿がありますが、これはヒンドゥーの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」の影響でしょう。
濠に面した周壁のなかも見事な造りだったと思われます。ガイドさんが指差しているのは、頭上にある精細なレリーフ(写真の左下に拡大)です。
西塔門の中央入口の上にある細かな彫刻です。拡大すると、人と猿がありますが、これはヒンドゥーの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」の影響でしょう。
濠に面した周壁のなかも見事な造りだったと思われます。ガイドさんが指差しているのは、頭上にある精細なレリーフ(写真の左下に拡大)です。
壁にも多くの彫刻がありますが、ときおりかつての内戦時代のものと思われる弾痕のあとが残っています。(右写真右上)
左下写真はヒンドゥー教の絶対神であるヴィシュヌ神です。
左下写真はヒンドゥー教の絶対神であるヴィシュヌ神です。
右は③のあたりにある周壁の中から中心方向にある、祠堂をみた写真です。
そして参道をさらに祠堂目指して(東へ)進みます④。さらに途中で左に折れて、⑤のあたりから、聖池越しに眺めると、アンコール・ワットの祠堂がきれいに池に写って見えました。
そして参道をさらに祠堂目指して(東へ)進みます④。さらに途中で左に折れて、⑤のあたりから、聖池越しに眺めると、アンコール・ワットの祠堂がきれいに池に写って見えました。
いよいよ祠堂に入るわけですが、わかりやすくするために、さらなる図(下)を用意しました。⑤の地点は下図ではaに相当します。
祠堂は外周から、第1回廊、第2回廊そして第3回廊に囲われています。
私たちは第1回廊の北西の角cから中に入り図中の赤い線に沿って進んで行きました。
下写真は、bから第1回廊の北西の角を見たものです、いよいよです。
ヒンドゥー教の寺院は西を正面にして造られていますので、そろそろ傾きかけた夕陽のあたり具合でそのことがよくわかります。
右写真は、第1回廊の入口あたりcにあったレリーフで、よくみるとガルーダに乗ったヴィシュヌ神です。
cからdにかけて有名なレリーフが延々と刻まれていました。これは前述したヒンドゥーの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」そのものです。
その精緻さと多さはもとより、個々の人物、獣、魔人などの表現には圧倒されました。
右写真は、回廊のレリーフを写したものです。
ついで私たちは、第2回廊に進みました。
右写真は、その途中、eから、第1回廊と第2回廊との間にある中庭で、左の建物が、経蔵、観光客の女性が見えているのが、第2回廊の北西の角です。
このモノクロ写真は十字回廊への途中にあった、沐浴に使用されたという池のあとです。まさにモノクロの雰囲気でした。(f)
この建物の柱は砂岩の一種でできていますが、その根元には写真のような欠損ができ始めており、早期の手当てが必要だと感じました。
前方に、十字回廊の中心が見えています。そこを通過してから左折し、第2回廊へ進みます。
ここには平戸の武士、森本右近太夫が寛永9年(1632年)インドの祇園精舎と間違えて、アンコール・ワットを訪れ、回廊の柱に残した墨書(落書き)がありました。
上から墨で塗りつぶされており、よくは読めませんが、漢字らしいものが確認できました。(省略しましたが、ネットでは全文読むことができます)
第2回廊と第3回廊の間の中庭から見た、第3回廊へ上っていく人達です。(i)直近にこの階段で事故が起きたとかで、私たちのツアーでは最初から第3回廊へのルートは除外が謳ってありました、残念、、、、
下のほうには民族衣装を着たモデルさんが、撮影の声がかかるのを待っています。
jの第2回廊の壁にデヴァターの群像をあらわしたレリーフがありました。こういった遺跡はモノクロがうまくマッチします。
日陰に入った東側(k)で、そろそろ暗くなった中、周りを明るくするような黄色が目に飛び込んできました。
そうです、この地のお坊さん、、、、の生徒?
でも、西洋人はなんら興味なさそう、、、、
ということで再び第2回廊に戻り、そこで「天国と地獄」および「乳海攪拌」の伝説をモティーフにしたレリーフを堪能して外に出ました。
写真は左が「天国と地獄」、右が「乳海攪拌」です。すでに回りは暗くなりかけていますので、レリーフの色は少し誇張されていますが、ところどころ彩色が残っているのがわかります。
なお「乳海攪拌」については私の以前のブログタイ旅行(第6日)の最後に記述してあります。
左写真は第1回廊の東側(前の図の⑦)から祠堂を振り返ったところです。
右は、さらに遠ざかった、⑧から撮影したものです。アンコール・ワットよ、さようなら、、、、おっと明日の早朝に日の出を観に再度来るんだっけ、、、、
日没の時間に急き立てられるように、バスに乗り、最初の図の④にあるプレ・ループ遺跡に急ぎます。
ここはやはりヒンドゥー教寺院で、プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたといわれる火葬の儀式を意味するとか、、、、
左写真は遺跡の正面で、上へはこの急な階段を上るしかありません。
「こんなことなら、あの第3回廊の階段だって登れたのに、、、、」という残念がる声しきり。
遺跡を背に説明中のガイドさんの左下が、火葬の儀式が行われた???という石棺です。
上に登ると今にも崩れそうな石塔が4本(右写真)、そして下写真が、上から見下ろした景色です。
5時半に近く、そろそろ日没の時間ですが、雲も徐々に出てきています。
、、、、と、そのとき雲の切れ目から一瞬太陽が顔を出しました。
この時を待っていた大勢の観光客が手にしたカメラのシャッターを押しています、もちろん私も、、、、
このプレ・ループ寺院の祠堂にもデヴァター像がありました。
そんな私たちを微笑をたたえながら静かに見守ってくれています。
まさにアンコール遺跡なのです。
次回に続く、、、、
0 件のコメント:
コメントを投稿