2013年8月28日水曜日

自動巻き時計の自動巻き


 毎日暑い日が続き、ブログもついつい滞りがちになっています。

 暦還暦記念に家族みんなからもらった時計をこの電子時計時代に逆らってこのところまた愛用し始めました。

 時刻も正確に刻んでくれますし、気分としてもなかなかいいのですが、夜の就寝時にはずしておいて朝見ると止まっている事がママあるのです。
 先回のオーバーホールからかなりの時間が経っていますので、潤滑剤が劣化したのか、はたまた齢を重ねて十分に発条を巻くだけの運動量に満たないのか、、、、と、いって四六時中肌身離さず、というわけにもいきません。

 ということで、かつてどこかで「自動巻き時計の自動巻き装置」なるものがあったのを思い出しました。それこそ超高価なレア時計を動態保存するものだったような気がしますが、はやいはなし夜の間時計が停止しない程度に動かしてくれればいいのです。
 結果、写真のような装置を作り上げました。

 細工としては夜の就寝時に、時計をこの装置にセットして、約一時間ごとに右に2回転、次いで左に2回転を繰り返せばいいのです。

 右写真に主な部品を並べてみました。

 時計の右にあるのは時計を保持するもの、左下は時計を回転させるステッピングモータとそれを駆動するためのマイクロコンピュータチップ(ATTiny2313)を載せた電子基板です。時計を保持具にセットすると左写真のようになります。

 また、右写真に組みあがった装置を斜め横から見た様子を示します。
 裏側には暗くて見づらいのですが、ステッピングモータと電子基板があります。

 
 さて、制御系についてもう少し詳しく述べてみたいと思います。 

 私はAVRを主体に、Arduino IDEでこれらのプログラムを開発しています。(以前のブログ AVR と Arduino(2)参照
 今回はAVRチップに少し小さい
ATTiny2313を使ってみました。写真の手前にある20ピンのDIP・ICがそれです。奥はArduinoが標準としている28ピンのDIP・ICです。
 Arduino IDEでATTiny2313を扱うことができるようにするのも結構Deepな世界ですが、ネットで多くの記事がありますので、詳細は省きます。
 ステッピングモータの駆動についても先人の方々が多くの結果を示していますので、今回のプログラムにはその中のひとつのLibrary(Stepper.h)を使用しました。


 そのスケッチを左に示します。
 注記しておいたように、Laibraryを呼んで、ステップモータの1回転あたりのステップ数(仕様)、Arduinoのピンとの接続、回転速度、ステップ数と方向を示してやれば簡単に動きます。

 ただ当初、時計を回転させるのに、単なる直流モータを使うか、ステップモータを使うか大いに迷ったのですが、駆動系を簡素化するために、後者を選びました。その結果、加工・工作は容易になりましたが、問題が発生しました。ひとつは回転時のステップ振動です。これはまあ我慢するとして、もうひとつの問題は看過できません。

 それは発熱の問題です。ステッピングモータは言い換えれば決まった位置に止まるためのものですから、停止時に最も電力を消費します。

いろいろ考えた結果、必要な回転操作が終わって、時間待ちの間(約1時間)はステップモータへの電源をリレーで遮断することにしました。Arduinoのピンはまだたくさんあまっていますので、トランジスタでミニ・リレーを駆動する回路を後から付加してOKです。

 今回はステップモータにミネベアのPM35S-48というものを使用しましたが、コイル結線図を示しておきました、、、、
 あ、もちろんステップモータのドライブにはMP4401というドライバーICを使っていますが、何でもOKです。

 酷暑のなか、久しぶりの慈雨のおかげでモノつくりができました。やはり手と頭を動かすのは楽しいです。

2013年8月10日土曜日

日光クラシックホテルと東照宮 (2/2)

 これはホテルの140周年記念を表すポスターの一部です。

 右写真はホテルのマークが入った灰皿と部屋の鍵です。
 ポスターも木製のキーホルダも共に近くにある神橋(しんきょう)がデザインされています。(キーホルダは擬宝珠)

 時間になったので朝食に出かけました。場所は同じダイニングでも少し違うようです。まだ人も少なく窓際の明るい席に案内されました。

 朝食は軽い洋食でしたが、ゆったりとした気持ちでおいしくいただきました。とくにここのベーコンの味は出色でした。


 食後、ホテルの案内図にあった「龍宮 Dragon Palace]
なる場所をまるで探検するようにさがしまわり、ようやく見つけました。本館の3階からさらに右写真の階段を上がっていくと龍宮です。
 今ではあまり使われていないようで、人の気配もありません。


 龍宮の前に見える浅い池はスケートリンクなのです。戦前の古い写真には多くの外国人観光客が、スケートを楽しんでいるシーンがいくつか見られましたが今は夏のせいでもあり、ガランとしています。

 さらに奥の山手に向かってホテル裏山を周遊する散策路「大黒山散策路」を登って見ることにしました。右写真は上り始めてしばらく後、龍宮を見下ろしたところです。

 緑色に見えるのはプール(今はクローズ)でその右がスケートリンクです。
 左写真は散策の途中で見かけた不動明王の像です。

 部屋へ帰ってしばし休息の後、チェックアウトして日光東照宮へ出かけることにしました。境内は広いのですが、徒歩で十分にいけるところなので、荷物はホテルに預けて、身軽になって出かけました。昼食もホテルにしようと言う気持ちもありましたので、、、、

 東照宮は徳川家康を神格化し、祀ったものですが、これは家康自身の遺言によるものとされています。死後直ちに駿府の久能山に葬り、翌年日光に移され、さらに現在見られるような規模になったのは三代将軍家光の時代、寛永の大造替によってです。

 正一位を追贈され、国家鎮護の神社(当時は東照宮・二荒山神社と寺院の輪王寺のセット)として勢いを得たため、当時は全国で数百箇所の東照宮が造営されたとのことですが、現在は少なくなったとはいえ、まだ百を越える東照宮が存在するらしい、、、、

 と言う事で、多くの東照宮と区別するために日光東照宮という名が正式となったとの事、、、、

 先ず私たちが最初に訪れたのは神橋(正式には二荒山神橋 ふたらさんしんきょう)です。

 この橋は奈良時代からその存在が伝えられ、現在の橋は、平成9年よりの大修理によるもので、平成11年に世界遺産に登録されています。




 かつての徳川将軍たちはこの橋を渡って、日光東照宮を参拝したと言う事ですが、通常は通行が出来ないようになっています。



 この橋を少し遡ったところから、私たちが昨夜宿泊したホテルの部屋が仰ぎ見られます。

 この川(大谷川 だいやがわ)の岸辺には
キスゲが咲いていました、これが本当のニッコウキスゲ、、、、


 対岸に渡り、いよいよ日光東照宮へ参拝です。
 参道にかかる最初の地点に世界遺産であることを示す記念碑がありました。

 1999年に文化遺産として登録名「日光の社寺」登録され、日光東照宮日光二荒山神社日光山輪王寺を主体として103棟の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」がその全容です。

 しばらく参道を登ってゆくと、「この地点の標高は東京スカイツリーとおなじ!!!」と言う表示に出会いました、なるほど、、、、634mね、、、、

 日光東照宮の入り口が見える地点です(前述の案内図の①)。
 まだ時間が早いせいかそれほど人出は多くありません。

 おや、これはどこかでお目にかかったような、、、、ホテルにもあったゾウ、、、、





 三神庫を遠くから見たものですが、正倉院の校倉造りを模したものだとか、極彩色の色付けが華々しい事この上もありません、これが日光なんですね~


 これが「みざる・いわざる・きかざる」で有名な神厩舎です。写真のように長押にはサルの一生を表現した木彫りのレリーフが何枚もあり、「みざる・いわざる・きかざる」の場面はその一枚です(写真左下)。「幼いときはむやみに行動しないで周りをよく観察せよ」と言う教訓です。

 サル(人の例示)が生まれて成長し、配偶者を得るわけですが、最後のおなかの大きなサルがなんとも可愛くて写真の左上に挙げておきました。

 アーティフィシャルな色使いと、左写真のような自然が妙にマッチしているのも日光です。

 右写真は御水舎(おみずや 参拝前に手を洗い清める所)の天井です。見事な彩色に思わず見とれてしまいました。

 さて次は、前々から楽しみにしていた、左甚五郎の手によると言われている「眠り猫」です。頭上の長押に小さく収まっていますので、教えられなければ見過ごしてしまうでしょう。

 ここは家康公が眠る、奥社宝塔への通路なので、眠ったふりをして守護している、とか、ネコのすぐ裏側でスズメが遊ぶ様子(右写真)が平和を表現しているとか、諸説あるようです。


ということで、さらに急な石段を登って(左写真)、奥社宝塔へすすみます。




 このなかには家康公が永眠されているとのことですが、、、、確かに周りの空気もそれなりに、、、、


 奥社の方角から本社を見た景色です。
 濃い緑に囲まれてスポットライトが当たったように見えています。(案内図③)


 途中の参道もきれいな石造りで、確かにこの規模とセンスは世界の文化遺産たる面目躍如です。


 内陣天井に描かれている鳴竜有名な本地堂(薬師堂)から工事中の陽明門方向をみたところです。
 参拝者は小・中学校の生徒がおおく、またなぜか外国人の割合が多いような気がしました。


 また鳴竜は天井と床での音の反射によるものですが、この原理を応用してJR日光駅にも造られており、帰り際にトライしたところ見事に鳴きました。

 右写真は、仙台藩主伊達政宗が、ポルトガルから鉄材を輸入し、領内の租税3年分の費用をかけて作ったと伝えられる「南蛮鉄燈籠」です。写真の右下に銘を記載しておきました。



 そろそろお昼時になり、少しくたびれて来ましたので、帰路につくことにしました。
 せっかくの事なので下野の国・一ノ宮の二荒山神社にもお参りしていくことにしました。ここには大国主命がお祭りしてあるそうです。(案内図④)



 さらに足を伸ばして、案内図⑤の日光東照宮美術館にも立ち寄りました。なかなか地味な、襖絵を主体とする美術館でした。メインは円山応挙の日輪の絵でしたが、簡略化されたなかにもさすがに迫力がありました。
 
 庭に目をやるとなにやら水音がします(右写真)。
日光の名水「ごんげん水」飲料用、、、、とありましたので、さっそく飲んでみましたが、渇きも手伝ってなかなかおいしいお水でした。流れに着いた色から判断して、鉄をはじめとしたミネラルが豊富のようです。



 再びホテルに帰りつき、遅めの昼食に「百年カレー」なるものを賞味してみました。クラシック・カレーとしては東洋軒のブラックカレーがありますが、それに比べると若干やさしい、フルーティーな味がするようですが、流石においしいと言う点では一致します。



 カレーをシッカリ味わってから、デザートのアイスクリームを食べつつ、ふと壁を見ると、JRのポスターが目に入りました。

 NIKKO is NIPPON
 「日光に宿るぬくもりは、いまもかわらない」

というキャッチコピーです。まさに今回私たちが堪能したそのままです。
 なんだか幸せな気分になってホテルをあとにしました。

2013年8月6日火曜日

日光クラシックホテルと東照宮 (1/2)

 まえまえから一度泊まって見たいと思っていた、日光のクラシックホテルに出かけました。

 遠くまで出かけて1だけでは、、、、とも考えましたが、いろいろ都合もあり、まだ参拝していない日光東照宮にもお参りをかねて出かけました。新幹線を乗り継ぎ、JR日光線の日光駅(写真)に着いたのはお昼過ぎで、意外と早く来たものだ、と感心しました。
 ホテルのチェックインには少しはやいので、荷物を預けて、乗り合いバスで華厳の滝に出かけました。

 いろは坂を登り、約50分で到着です。山の中腹は雲で視界がかなり悪く、心配していましたが、山の上は幸い好天でした。
 バス停を降りて、しばらく歩くと遠目にではありますが、華厳の滝と初ご対面、、、、(右写真)

 やはり間近に観たいと言うことで、有料エレベータで100m降りて、滝の見物場所まで行きました。
 麓から谷間を登ってくる雲ですこし靄って見えますが、さすがに美しい眺めです。
 滝の落差は97mで、直近に見たイグアスの滝とはスケールにおいて比べるべくもありませんが、滝が落ちる岩壁、そばにある白糸、周りの濃い緑そして滝から落ちた水が流れ下る渓流の様、とどれをとっても美しいと感じられます、日本人のこころ??

 しばらく自然との対話を楽しんだ後、この滝の水源である、中禅寺湖に歩を運びましたが、途中エレベータへの通路に右写真の鎮魂レリーフがありました。
 そういえば明治の末期、この地が自殺の名所であった事を思い出しました。木を削って「巖頭之感」なる遺書を残した一高生の話も、、、、

 再びエレベータで上にあがると、北方に男体山を仰ぎ見る事が出来ました。
 さすがにこの季節の平日では人出も少なくこのあたりに多い、湯葉を売るお土産屋さんも閑散としています。
 しばらく行くと、道路を跨ぐ大鳥居の左前方に中禅寺湖が見えてきました。
 日本一標高の高い(約1300m)湖と言う事で、一時期各国大使館の別荘が多くあったとか、、、、


 しばらく散策して下りのいろは坂を降り(いろは坂が上りと下りの両方あることを知りませんでした)チェックインのためホテルに帰って来ました。


 写真の左側が本館、右側が私たちが宿泊した別館ですが、別館と言っても昭和10年の落成です。

 このホテルは明治6年ごろ外国人専用のカッテージ・イン(民宿)としてスタートしたとのこと。このあたりの様子は、明治11年にここに逗留した英国の旅行家イザベラ・バードさんの紀行記に残されているそうです。








 上のスケッチは当時のカッテージ・インを描いたものです。

 右写真はホテルのアプローチにある大灯篭の横から正面玄関を見たものです。このホテルのシンボルマークの「ササリンドウの紋」が見えています。

 フロントの横を奥にはいるとロビーに至ります。
 長い歴史のこのホテルで、どれだけの人たちがくつろいだのでしょうか、ローマ字で知られるヘボン博士、前述のイザベラ・バードさんなど、そして「翼よあれがパリの灯だ!」のリンドバーク氏も1931年にここを訪れています。

 右写真はそのときの記念写真宿帳へのサインです。


 上写真は2階へ上がる階段ですが、緋色のカーペットとあいまって重厚さをかもし出しています。
 
 右写真は客室への廊下です。まさにクラシックホテルの面目躍如と言ったところでしょうか。

 フロントの鴨居あたりに不思議なゾウの彫り物がありました。あとで気づいたのですが、東照宮にも同じもの、いや本物がありました。

 夕食の前に、少し周辺を散歩しようと、外にでました。中庭から見た本館は右写真ですが建物にアクセントの色が入っており、正面からとは違った雰囲気が出ています。



 庭の隅の木陰に石仏が静かに座っていました。


 こちらは私たちが宿泊した別館です。かつて昭和天皇もご利用になったとか、、、、





 近くを流れている川への散歩道を見つけましたが、入り口に妙なものが、、、、もしかしてこれはクマよけの鈴!!!ということは、、、、



 そろそろ暗くなり始めた、人の気配のない道をおっかなびっくりで川へと向かいます。


  川岸に降り立つと、川下に神橋(しんきょう)が見えます。
 この橋の詳細は明日、、、、






 ふと川の上流を見ると川面をすべるように霧がながれてきました。まさに幻想的な瞬間です。 日中の暑さで十分に大気中に蓄えられた水蒸気が、夕方の大気温度の低下とあいまって、奥山からの冷たい川の流れによって冷却されて霧が発生したのです。
 そろそろ夕食の時間です、来た道を引き返しました。

 メインダイニングは二階にあります。(見えている階段は3階へのもの)そしてこのダイニングはかつてはロビーとして使用されていた場所で、この赤いランプ付きの階段は当時のままのようです。

 ダイニングの暖炉の上には迦陵頻伽(かりょうびんが)の彫刻が置かれ、私たちを迎えてくれているようです。
 迦陵頻伽というのは上半身が人で、下半身がの仏教における想像上の生物です。極楽浄土に住むとされその声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられるとか、、、、

 そして天井には極彩色の絵が、またすべての柱には彫刻が施されこれも極彩色です。

 いよいよ食事が始まります。
 銀色に輝くカトラリーや食器にはそれぞれにササリンドウの紋が刻印され、雰囲気満点です。

 お客さんもそれほど多くなく、好きに来て、好きなものを味わい、また帰っていくといったあたり前のかたちですが、海外旅行ではバイキング料理が多かったので、このようにゆったりした食事はまた格別です。

 このホテルの名物?は「日光虹鱒のソテー 金谷風」と「若鶏と蟹入りベシャメルコロッケ トマトソース」(通称 大正コロケット)だそうですが、これはたまたま私たちがステーキには目もくれずオーダーしたのが大当たり!!!


 これらのメニューはかつてフランス料理もよくわからない時代に、外国人客をもてなそうとして先人が努力したものが伝統として引き継がれているのだとか、、、、

 そして最後の写真はこれ。
 水のサーバーです。材質は銅だそうですが、使っているうちにメッキの銀が磨り減ってくるので、そのたびに再メッキして何代にもわたって使い続けている、、、、と言った話をしながらおいしくいただきました。

 そろそろワインの酔いもまわってきました、ではまた明日、、、、