2013年6月29日土曜日

遥か南米へ4万キロの旅 その5(ブエノスアイレス)

さて今回はペルーの首都リマへ帰るわけですが、飛行機の便の関係で、ブエノスアイレス経由になっています。
 かつ、時差が2時間貸して?ありましたので、ブエノスアイレスでの乗り継ぎ時間を利用して、ここでもミニ観光をしようというわけです。
 したがってリマに帰り着くのは深夜になりますが、折角遥か南国の都まで来たのですから見聞を広げるのは大いに嬉しい話です。

 朝食後、ブラジル側にあるホテルを出発して、再び国境をバスで越え、アルゼンチン側にあるイグアスの滝国際空港(本当にこれが正式名です)に向かいました。


 右図の空港の右にあるのが、昨日観光した「イグアスの滝」です。イグアス河は右から左に流れていますので、ちょうど胃袋の出口にあたるところに滝があるのです。

 いよいよ空港を出発です。ちいさな管制塔が見えていますが、設備がないので、お客さんは昔ながらに建物から飛行機まで歩いて、タラップを使って搭乗します。(これがまた楽しい、、、、)

  離陸、上昇中の左側に、、、、みえました。水煙を上げるイグアスの滝です。
 まるで別れを惜しんでいるような、、、、
 画面の傾きはそのまま飛行機の上昇角度です。
 
 
 この便は国内便なのですが、イグアスの滝国際空港が細く突き出たアルゼンチン領にあるので、かならず隣国のパラグアイかブラジルの領空を通過します。

 



 約2時間ほどで「ホルヘ・ニューベリー空港」へ到着です。さすがに国内便空港にいる飛行機はどれもナショナルカラーで統一されておりきれいです。



 到着後直ちにバスで市内観光です。
 首都のブエノスアイレスはスペイン語で「buenos(良い)aires(空気、風)」の意味で、順風が街の名前になっているのは大航海時代の名残でしょうか、、、、
 ところが、街中は多くの人出があり、太鼓の音も威勢良く響いています????お祭り????

 いやアルゼンチンにとって大切な革命記念日なのです。(1810年5月25日に五月革命)幸か不幸か町中大騒ぎの日に私たちはハチアワセ、、、、


 ブエノスアイレスは南米のパリと言われているように、古きよき時代のヨーロッパの面影を濃く残しています。そしていたるところに国旗も、、、、


 右写真は、街で見かけた、今でも広くアルゼンチン国民に愛されている「エビータ」の像です。エビータはかつてのアルゼンチン大統領フアン・ペロンの妻エバ・ペロンの愛称です。
 幼少期を恵まれない環境で過ごし、女優を経て、大統領夫人になってから貧しい人のために尽くしたとされていますが、1952年にわずか33歳でこの世を去った彼女はまさに偶像的存在なのです。
 彼女をテーマにしたミュージカルは有名ですし、また1996年に「マドンナ」が主演した同名ののアメリカ映画も記憶に残っています。


 さて、今回のミニ観光について左図で説明します。
 これはブエノスアイレス(人口約1400万)の一部ですが、わたしたちは左上の飛行場から下部中央に向かって移動しました。
 中央にあるメトロポリターナ大聖堂は地方から次々に上京したデモ隊(政治団体)のために道路が占拠されており、近づく事が出来なくて見学を断念しました。
 右側はラ・プラタ河(スペイン語: Río de la Plata プラタは銀)ですが、最初の地図でわかるようにむしろこれは湾でしょう。 ラ・プラタといえば映画「戦艦シュペー号の最後、原題:The battle of the river Plate」を思い出します。

 最初に行ったところはレコレータ墓地(La Recoleta Cemeteryです。

 これは墓地というより町ですが(右google写真)、いわば高級共同墓地、、、、
 この墓地は1882年に開設されたもっとも由緒あるもので、芸術的な墓地としても世界的に有名だそうです。なかの通りはこんな具合(右写真)
 150m四方に6400の納骨堂があり、そのうちの70は国の文化財で、歴代大統領13人の墓もここにあるとか、、、、

 いろいろな様式のもの、彫刻などもたくさん見られました。

 なかでもエビータの墓は今でも大勢の観光客がひっきりなしに訪れています。右下写真は墓に取り付けられたプレートです。
 ちなみにここはすべて土葬、、、、。










 次いで向かったのはコロン劇場です。
 前方に見えているのは、1936ブエノスアイレスが最初に開かれてから400年目を記念して建てられたオベリスコ(現地風に、、、、)です。その近くにはすでに群集が集まり始めていて交通規制が始まっていましたが、幸いコロン劇場は二つ手前の交差点を右折です。

 






 コロン劇場は(スペイン語:Teatro Colón, テアトロ・コロン)でコロンブス・シアターだったんだ、、、、
 ここは世界で最も音響効果のいい劇場の一つでパリのオペラ座、ミラノのスカラ座とならび、 「世界三大劇場」のひとつとされています。
 残念ながら中には入れず、西側正面を垣間見たのみでした。

 そろそろ夕方に近くなってきていますので、手に手に旗や太鼓などの楽器を持った人たち(子供も大勢います)が街の中心にどんどん集まってきています。この道路も封鎖です。バスは飛行機の出発時間を気にしながら、迂回に次ぐ迂回で、メトロポリターナ大聖堂をあきらめ、ボカ地区へ、、、、
 現地ガイドさんの説明によれば、この人たちは現政権に反対するグループが、地方からバスを使って動員しているとのこと、毎年この日になるとブエノスアイレス市民は店を閉めて郊外へ移動とか、、、、

 いよいよボカ地区です。
 ボカという名はどこかで聞いた事があると思っていたら、この地区を本拠地にしている有名かつ伝統のある「ボカ・ジュニアーズ」というサッカークラブチームをおもいだしました。そうです、あのマラドーナです、彼もここでは国民的英雄です。

ボカ地区は、古くからの港湾地域で、ヨーロッパから移民は、ここから、新しい生活をはじめたとのこと。19世紀末には、スペイン、イタリア系を中心とした、ヨーロッパからの移民や、アフリカ系の人々など多種多様な人々でにぎわっていたということですが、経済活動が他に移動してしまった今でもその面影を残しているようです。

 左上写真は今は静かな港、上写真は今は稀にしか列車が通らなくなった臨港線です。

 そんななかタンゴ様々な文化の混合によってこの地で誕生したそうですが、既述の図中図のボカ地区にある、白い円で囲んだなかの、一本だけある斜めに港に向かっている道が、フィリベルト作のタンゴの名曲「カミニート小径」を記念して彼の親友であるボカ生まれの画家、キンケラ・マルティンによって造られた家々の壁やテラス、屋根が原色で大胆に塗り分けられている独特の一角の中心です。

 ボカ地区は、カミニート通り周辺のみ警察官などが多く配置され、安全が保たれてますが、カミニートから離れると安全は保障しないとか、、、、

 左上はこの地独特の色使いの絵を売っている画家たち、、、、上はこの地区を紹介する誰もが引き合いに出すお土産屋さんで、テラスで愛嬌を振りまいているのは左から、マラドーナ、エビータ、そして大統領?

 上写真はカミニートを港側から見た写真です。角の家のバルコニーからも誰かご挨拶、、、、家々がカラフルに塗られているのがよくわかります。木々も色づいて、、、、おっとこちらは晩秋でした。陽も傾きかけているせいか、これらの色とはうらはらになんとなく淋しさが感ぜられました。

 ここからはうまく高速道路に上がれ、予定時間に郊外のミニストロ・ピスタリーニ国際空港へ到着です。
 ペルーに向けての出発は20:00でリマのホテル着は午前様の01:10、そして明日はいよいよマチュピチュに向け出発です。

 ただしホテル発 06:15 !!! いつ寝るの???

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