2018年5月5日土曜日

春の山陰旅行 その3/3(松江城、足立美術館)

 さて、きょうは3日目の最終日、左地図の⑥玉造温泉から⑦松江城、そして⑧の足立美術館を経て帰路に着く予定です。

 特に松江城は今回最も楽しみにしていたところで、期待が大きく膨らみます。


 玉造温泉から松江は10km程度で宍道湖を左手に見ながら進みます。 右写真の「嫁ヶ島」が見えてきましたので松江はもう間近です。

 このあたりは名物のシジミ漁が盛んだそうで、漁船が何艘も見えています。

 松江市外に近づくにつれ軽い渋滞がありましたが、程なく松江城が見えてきました。


 立派な石垣の上に櫓が見えています。
 左が「南櫓」、右が「中櫓」です。
 そしてさらに右手には「太鼓櫓」があります。






 ここ松江城は、関が原の合戦で戦功のあった堀尾吉晴(右写真)が、出雲・隠岐両国を拝領した子の忠氏と共に、浜松から月山富田城に入ったが、松江の将来性に着目して城地を移すことを決意し、もともと城普請の名人であった吉晴は、孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、完成したのが最晩年の1611年だったのです。

 ところが皮肉なことに1633年には忠晴が死去したのち、嗣子がなくて堀尾氏は3代で改易となってしまったのです。




 そのあとに京極忠高が若狭国小浜藩から入封しましたが、彼も嗣子なくして没し、次いで信濃国松本藩より松平直政が出雲186千石で入封、以後、明治維新まで続いたのです。

 左写真の広場は「馬溜り」跡、左上に見えているのは「太鼓櫓」で上写真の右続きとなっています。


 そして右方向は、大手門跡です。
 案内してくださったボランティアさんの話では、大手門を再現したいけれど、図面などの資料が無く、ただいま500万円の賞金つきで募集中だとか、、、、




 天守閣がみえてきました。
 全体が少し黒っぽいですがキリリとして美しい城だと思います。

 千鳥が羽を広げたように見える曲線を持った三角屋根を「千鳥破風」と言い、松江城の天守にはそれが東西南北の四方に乗っていることから千鳥城とも呼ばれています。


 今回は修復のためか、天守内の展示物がほとんど無く、上写真のように柱が林立している様子を詳細に観ることができました、こんな機会はめったにありません。

 右写真は、天守から見下ろしたものです、松江の街が朝もやで霞んでいます。











 左上は、約3年前に松江城の天守が国宝に指定されたときの国宝指定書です。

 それまで日本における国宝天守は、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、の4城にありましたが、これに松江城が加わって、5城となったのですが、私たちも今回の旅行、でめでたく国宝5天守登攀が達成できたと言うわけなのです。

 これまでこの松江城は、国宝級と称されていたのですが、国宝となるための、建設された時期を特定する資料がなかったのです。

 これを見つけるために500万円の懸賞金を掛けて探していたのですが、3年前に近くの神社から左写真に見られる祈祷札が2枚発見されたのです。(この祈祷札は左右2枚あり、写真は左側で、もちろんレプリカ)

 さらに、見つかっただけでは不十分なのですが、祈祷札が柱に釘で打ち付けられていたと見られる穴がそれぞれ2箇所ずつあり、手分けして城内の釘穴跡をくまなく探したところ、これらの所定の場所でピッタリ合致する跡が特定され、メデタシメデタシ、、、、と相成った次第なのです。

 右写真は天守にあった鯱鉾(旧)で木型に銅板を貼り付けてありますが、ほぼ2mあり現存するものでは日本一、左側の雄はうろこが大きくしてあるなど興味津々です。







 天守を出てしばらく散策です。

 左写真はかつて小泉八雲(ラフカディオハーン・Patrick Lafcadio Hearn)がこの前を通り、松江城内を抜けて島根県立中学に通勤したという城山稲荷神社です。

この境内には千体を越えるキツネ像がありますが、この入り口には狛犬とキツネが仲良く並んで出迎えています。




 私たちが進む方角がお城の北側なので、満開のサクラがまだ数本残っていました。
 ツバキが赤いアクセントとなっています。

 堀を渡る稲荷橋上から堀川めぐり遊覧船を見送りました、少し時季をはずしているせいか、乗客は1カップルのみ。
  右写真は、その少し先にあった小泉八雲記念館(右隣は小泉八雲旧居)です。
 時間が無いので今回は立ち寄りません、、、とはあんまりな!!

 またこの近くには武家屋敷などが多い塩見縄手などもあり、さらには、大名茶人で名高い出雲松江藩7代松平治郷(不昧公)没二百回忌記念(平成30年)とかで盛り上がっていました。是非もう一度、、、、



 後ろ髪を引かれる思いで、次は30分強かけて足立美術館です。


 左写真は足立美術館の駐車場から遠望した、難攻不落とされた月山富田城(前述)です。

 ここは170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台で、あわせて山中鹿助の名も思い出されます。



 足立美術館を訪れるのは初めてではありません。












 足立美術館は地元出身の実業家・足立全康氏が1970年、氏が71歳のときに開館したもので、横山大観の作品集蔵数は130点にものぼり、質量ともに日本一とされていますが、もちろん他の著名な作家の作品も数多く収蔵されています。

 足立美術館のさらなる特色は、面積5万坪にも及ぶ広大な日本庭園で、「庭園もまた一幅の絵画である」という全康氏の言葉通り、絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも高く評価されています。
(上は額縁に見立てた窓からの庭、右はパノラマ写真)


 過日、「春の山陰旅行 その2」で述べた、アメリカの日本庭園専門誌であるThe Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)が主催する、「日本庭園ランキング2017」で15年連続1位となっています。

 先回できなかった館内レストラン「大観」での食事を実現すべく、少し早めに入店しました。

 ランチはメニューも多くないですが、気にかかっていた笹巻きおこわをオーダーしました。(左上写真)
 島根和牛、赤貝、そしての三種類の笹巻きおこわを日本一の庭を眺めながら、おいしくいただく時間は最高でした!!

 もうひとつの懸案はお茶室でお茶をいただくことでした。

 館内には「寿立庵」(伝統的な建築の茶室)と「寿楽庵」(和風カフェ)があり、お目当ては前者です。

 「寿立庵」は京都・桂離宮にある「松琴亭」の意匠を写して建てられた茶室で、庵号は、裏千家15代前家元・千宗室氏によって命名されたとの説明を受けました。


 ランチより高価な茶代のせいか、空いており、先客は1組のみでゆっくりとした時間が持てました。
 お菓子も、地元の風流堂のお菓子だとかで、お茶の味をいっそう引き立ててくれたように思いました。

 右写真は茶室内の様子です。
 壁のムラやシミなどは職人さんが腕を振るって古色を出したとか、右下の襖の引き手は左が松葉、右が櫂をデザインしてある、、、、などなど。


 ガラス越しに観た庭園です。

 お庭へもどうぞ、、のお許しを得て、沓脱ぎ石にならんだ和風スリッパ?を履いて庭に出てみました。






 




 








 素人の私にはよくわからないことばかりでしたが、ありとあらゆる点に妥協することなく、心血を注いであるのではないかと想像しました。

 そのようにしているうちに時はあっという間に過ぎ去り、帰途に着くことになりました。

 遠くに見えているのは中海です、ところどころに見られる梨畑には真っ白な花が満開です。

 往路と同様に、少し山を上がっていくと左写真のような見事な櫻並木も観られました。





 伯耆富士(大山)も最終日にはようやくきれいな姿を見せて見送ってくれました。

 また今回は地震のハプニングもありましたが、十分に楽しめた山陰旅行でした。 

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