左の絵は安藤広重の浮世絵、東海道五十三次「桑名宿」です。
「桑名宿」とは、今年の4月初めにNHKの「ブラタモリ」 の伊勢路で放映されていた七里の渡しの終着点の湊の絵なのです。
当時の東海道五十三次は尾張の国の熱田神宮(宮宿)から海上を桑名宿まで船で渡ることになっていました(もちろん陸路もありますが、、、)。
前述したように、桑名はかつて徳川幕府にとって交通、さらには西国に対する重要防御地であったことは理解できますが、今日においては何となく影が薄い存在のようです。
ただし前方の矢倉「蟠龍櫓」は近年に再建されたものだそうです。
右写真は「七里の渡跡」にある伊勢の国一の鳥居です。
この鳥居は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮ごとに、伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えているものだそうです。
ここから赤い線に沿って旧東海道が南下していきます。
約20㎞南の四日市市日永の追分で旧東海道と旧伊勢街道が分岐しますがこのことからも往時は随分賑わったことが推察されます。
図の中央部に「歌行燈」とありますがこれがお目当ての焼き蛤のお店です。開店が11時ということで約1時間前に着きましたが、幸い受付票が用意してありましたので、一番最初に記名し、開店までの約一時間、あたりを散策することにしました。
となれば桑名城ですが、残念ながら今は存在せず、跡地が九華公園となっています。(右図)
中央部の赤丸が天守閣跡です。水色は堀で約60パーセントの多くを占めています。
前述したようにこの地が要衝の地であることから関ケ原の合戦ののち伊勢の国桑名に封ぜられ桑名城の築城、城下町の整備を行ったのは本多忠勝です。
公園内に銅像がありますが、巨大な鹿の角の脇立て付きの兜姿は過日のNHK大河ドラマを思い出させます。
左写真は九華公園内の吉之堀と橋上の8角形の屋根を持つ休憩所です、赤い橋が周りの緑の中できれいです。
店の正面はそれほど大きくありませんでしたが、奥行きが結構あり、かなりのお客さんを収容できそうです。
この店の格子に張り付けてあった青い小さなプレート(右下に拡大)には店前の道路が旧東海道であると表示してありました。
この店は泉鏡花との関連があるそうです、泉鏡花は明治43年(1910)37歳の時に桑名を舞台にした「歌行燈」を発表しました。
この中に「志満や」が登場しますが、この「志満や」が現在の「歌行燈」ということです。ちなみにこの店の創業は明治10年とか、、、
上写真の右上の屋号を書いた行燈に、横にしゃれた文字で「歌行燈」、正面に少し小さな文字で「志満や」と記してあるのがわかります。
元々この店はうどん・そばの店ですが、お目当ての焼き蛤をセットにした、大焼蛤御膳をオーダーしました。高級天ぷらうどんランチに焼蛤(3個)をつけたようなものです。まずは前菜と鍋(蛤入り)が出てきて固形燃料にさっそく火がつけられます。
おー、直径数センチもある蛤はまさに大蛤!!
味も食感も、、、最高、、、でした。ただこれって焼き蛤ではなく蒸し蛤?! 幼い時に食べた焼き蛤は炭火直焼きだった、、、
ついで本体?の高級天ぷらうどんランチが出てきました。
流石老舗の味でおいしくいただきました、右側の器は上が茶わん蒸し、下がご飯です。
やはり気になって調べてみました。
葛飾北斎「東海道絵」より 「桑名」が左の絵です、蛤を松ぼっくりで焼いていますが、他の絵も同様なやり方で、蒸し焼きをしているものはありませんでした。
蛤料理としては最高でしたが、焼蛤と称しているのが気になりました。
焼蛤目当ての桑名行きでしたが、桑名について多くを学べたことも何よりでした。
そこで再度 「その手は桑名の蒸し蛤、、、」