2019年3月27日水曜日

早春の安曇野ちひろ美術館

 急に思い立って、安曇野に小旅行をして来ました。

 第1日目は何度目かの松本城訪問したのち、昼食には松本では5本の指に入ると言う「そば屋 五兵衛」なる店で手打ち蕎麦を味わってきました。

 店は夫婦二人のみで、丁寧にひとつづつ順に作るため、待ち時間の1時間はあたり前のようです。
 しかしながらご主人の病弱の故か、後で調べたら3月の前半はほぼ毎日が休店日で、たまたま訪れた私たちはまさにラッキーでした。

 さらにラッキーなことには限定メニューの「粗碾き生粉打ち(あらびききこうち)蕎麦」が一人前だけ残っていました。これは、手碾き石臼で玄蕎麦を丹念に碾き「つなぎ」を加えずに水だけで打つという野趣豊かな 10 割蕎麦、、、、とのことで、さすがにおいしかった!


 もちろん他の「ニシン蕎麦」や「せいろ蕎麦」も十分に堪能できたようです。

 こののち松本市内を少し散策しましたが、あちこちに古い家並みが残っており、改めてそのよさを味わいました。

 その後、少し早めでしたがホテル入りし、温泉そして少しだけ豪華な夕食の時間を楽しく過ごしました。

 翌朝、家人の声で目を覚ましました、、、眠い目で窓の外を見て驚きました。

 なんと雪景色です。事前にホテルに問い合わせたときには「今年は雪が無くて、、、」と申し訳なさそうな話でしたが、、、落ち着いて空を見上げるとところどころ青空が見えています、これもある意味ラッキーなのでしょう。

 屋根が白兎のようになった車の雪落としをして、出発するころにはもう雪は日陰に残るのみとなっていました。


 今日の予定は安曇野ちひろ美術館です。

 ちひろ美術館は東京・下石神井にもありますが、手狭になったこともあり、その開館20周年を記念して安曇野にも設立されたとのことです。


美術館はアルプスの山々を望む地に広い敷地を取って、低層の建物だけで構成されており、また敷地全体を「安曇野ちひろ公園」として、散策しながら寝転んだり、美術館を鑑賞したりできる魅力的なスペースにしてありました。

 右下の第1駐車場から美術の道を経て入館します。

 入館証は下写真のような、5cm角のかわいいもので、ちひろの絵が印刷してあります。
 これを身に着けていれば1日中出入りが自由なのです。





 「いわさきちひろ」は福井県武生市生まれの、冒頭に掲げたような子供水彩画に代表される日本画家絵本作家で、常に「子どもの幸せと平和」をテーマとしていました






 ここ安曇野ちひろ美術館には、彼女が1974年に55歳で肝臓がんのために早世するまでの生い立ち、成長、活動そして作品などが詳しく展示されています。



 また、この美術館は絵本美術館でもありますので、国内外の絵本約3000冊をそろえた「絵本の部屋」もありました。(上写真)

 建物の外側には、安曇野の自然を味わいながら絵本を読むことができそうな場所がありましたが、今はまだ春雪に占拠されています。





 とはいっても春はもう私たちの足もとまで来ていました。










 館内は木を生かした、瀟洒なデザインで、明るい心地よさが感じられました。
 右写真は館内で、先方にあるカフェの方向を見たものです。



 折角の機会だから、、、と軽い昼食を兼ねたお茶の時間を持ちました。
 写真はイチゴタルトとスコーンです。


 順序は前後しますが、下の写真は安曇野ちひろ美術館を正面入口の反対側、すなわち前述の公園見取り図の花畑から見たものです。

 すべて平屋で構成されており、安曇野の自然とよく調和するように考えられているものと思います。

 また、公園見取り図の左端には「ちひろの黒姫山荘」を復元したものがあります。
 1966年、ちひろはアトリエを兼ねた山荘を黒姫高原に建てました。
この4間四方のコンパクトなアトリエ兼住居である黒姫山荘は、周囲を囲む美しい樹木や野尻湖の景色を愛でられるように、少し高床で、かつ床の高さから大きく窓が取られています。


この山荘ができてからちひろは毎年ここで絵本の制作をおこなうようになったということです。

 左写真は山荘の窓からちひろの制作現場をみたものです。
 描きかけの挿絵?や道具類が置かれています。

 絵筆は制作者の左に置かれています、、、そうです、彼女は左利きだったんです。

 そして今回の戦利品?です。

 その1は、隣接した公園で、フラワー即売会をやっていましたが、そこで家人が見つけたクリスマスローズです。

 小輪でベル咲きの可愛らしい雰囲気で、緑の花を付けた、「ウインターベル」という株で、我家の庭には無かったものです。それも当然、ほとんど流通のない希少なクリスマスローズで、栃木県でしか生産されない限定品種だとか、、、、







 その2は、安曇野ちひろ美術館のミュージアム・ショップで見つけたガラス製の小さな花瓶です。

 帰宅してふと気づいたら、庭の花が挿された姿を、早々とテーブルの上に見つけました。

 

 健康で、平穏な日々に感謝です、、、、


2019年3月6日水曜日

あっという間に春の訪れ

 あっという間に春が訪れました。
 暦の上で冬は12、1、2月の3ヶ月ですが、2月の末になるとクロッカスが春の来訪を教えてくれるのです。

 今年は少し早いかな?とこれまでの記録(撮影した写真にはタイムスタンプがあります)をみてみましたが、なんとほとんど同じ時期に開花していました、、、、ということはこの花は、日照時間を感じているのでしょう。









 そういった意味で、毎年きっかりと春の訪れを知らせてくれる、我家の季節時計です。
 庭のアプローチに咲いた花は例年より少し多く、20余を数え、なんとなく豊かな春を予感させてくれます。






 カンアヤメは冬の間の数少ない彩のひとつで、毎年おなじところに、おなじように、静かに咲いています。



















 
 そして新しい年を迎えると、スイセンが庭のあちこちで一斉に開花します。
 冬の季節に、スイセンの青い葉と黄色のアクセントのある白い花は私たちを元気付けてくれているかのようです。





 次いで、クリスマスローズの登場となるわけですが、庭の手入れをしていた家人が、「珍しいものを見つけました。

 八重咲きの、それも多くの色が混ざった濃厚なクリスマスローズです。これまでにこのような種類を植えたことはないはずだそうですが、もしかすると突然変異なのかもしれません。

 そして、こののち白から黒に至る多くの色の、沢山のクリスマスローズが庭のあちこちで咲き乱れていきます。(もちろん一重の、、、、)


 一方、室内ではランが相次いで開花してきました。

 セロジネ・インターメディアは友人からの頂き物ですが、今年も元気に花をつけてくれました。




 
 デンドロビウムは例年より少し早いような気がします。










 そして カトリアンセ バーガンディー デライト です。
  この花はより大きく、きれいに咲きました。


 毎年こうして春の訪れをいろいろな花で知ることが出来るのは、たいへん心豊かなことだと思い至ります。

 毎度のことながら、改めて家人の丹精に感謝です。

2019年2月20日水曜日

メンデルスゾーン オラトリオ エリヤ(ELIAS)

 先日、ごく親しい友人ご夫妻のお招きでメンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」を鑑賞する機会を得ました。

 オラトリオとは宗教的な叙事的題材を、声楽(独唱、合唱)とオーケストラで演奏する規模の大きな曲で、オペラと異なるのは、演技や衣装、・道具などを用いない点です。

 ヘンデルの「メサイア」、ハイドンの「天地創造」などが有名ですが、メンデルスゾーンも1846年のこの「エリヤ」に先立つ1836年に、「聖パウロ」を世に出しています。こののち「キリスト」が予定されており、本来ならばメンデルスゾーンの「オラトリオ3部作」となるはずでしたが、彼が38歳で夭折したことで実現しませんでした。
 
 今回鑑賞した「エリヤ」は第1部と第2部に分かれ、それぞれが約1時間の大作でした。

 第1部は、イスラエルの地にバアルの偶像崇拝信仰が広まったことに怒った神エホバが、長期にわたる旱魃をもたらした場面から始まり、預言者エリヤがバアルの預言者たちとの対決で主の火を降下させることに成功し、打ち勝ち、預言者たちを排除して、降雨の奇跡をおこなうまで。

 第2部は、奇跡をおこなったエリヤの台頭を恐れた、イスラエル王妃イゼベルに追われ、エリヤがイスラエルから逃げ、最後には後継者エリシャの目の前で火の馬車により天に上げられるところまでとなっています。


名古屋市民コーラスのホームページより
 冒頭の絵画は、最後のシーンを表現したもので、後期バロック様式のイタリアの画家ジュゼッペ・アンジェリ(1709-1798)による「 Elijah Taken Up in a Chariot of Fire 」で、今回の演奏会のポスターにも使われています。

 今回の演奏会は名古屋市民コーラスの創立60周年記念演奏会の第1回で、第2回はこの11月にブラームスの「ドイツ・レクイエム」が予定されています。
 
 写真は一昨年に演奏されたヴェルディの「レクイエム」のカーテン・コールで、例によって共演は名古屋フィルハーモニー交響楽団です。
 写真から分かるように、1959年に発足した名古屋市民コーラスは常時200名の団員数を有する大合唱団で、今回のようなオラトリオや、レクイエムなどで圧倒的なパワーを体感させてくれます。

今回の演奏会は以下のような構成でおこなわれました。 
 
      角田鋼亮
      エリヤ    末吉利行
          ソプラノ  本田美香  田代華菜
          アルト    三輪陽子  佐藤文美
          テノール  大久保亮  田中準
               田中潤
 ソプラノ(クナーベ役)長谷川紘初
管弦楽   名古屋フィルハーモニー交響楽団
     名古屋市民コーラス
合唱指揮  長谷順二

 指揮者の角田鋼亮さんはまさに新進気鋭で、プレトークでは学生時代(23歳)に、名古屋市民コーラスの第33回定期演奏会(2003.11)「エリヤ」を、師の佐藤功太郎氏が指揮されるのを楽屋裏から観た、との話で今回の演奏を楽しみにしておられた由。
 また演奏後の感想では、オラトリオとはいうもののまるでオペラのような感覚で指揮ができ、新しい境地が開けそう、、、、とも述べておられます。

 エリヤ役のバリトン末吉利行さんもまた2003年に引き続き出演されています。まさに押しも押されぬはまり役と言った感じでオラトリオを盛り上げていただきました。パワーとスタミナに脱帽です。

 ソプラノの本田美香さんも熱演が光っていました。
 時間が経つにつれ伸びやかな声がますますすばらしく、今後の活躍が期待されます。

 クナーベ役・ソプラノの長谷川紘初(はせがわこうは)さんの強く、透明感のある声には驚きました。宗教曲にはよくボーイソプラノも使われますが、多くはソプラノが代行します。でもボーイソプラノのようなガールソプラノは珍しいとおもいます。
 フォーレの「レクイエム」にあるピエ・イエズを昨年スペインで演奏し、絶賛されたとありますが、 現在中学2年生とのこと、少しでも長く演奏できることを願ってやみません。

 ということで久しぶりに時間も忘れ、すばらしい演奏に心を揺さぶられました。
 改めて友人ご夫妻に感謝です!!!

2019年1月29日火曜日

ウイリアム・モリス展に行きました

 親しい友人と「ウイリアム・モリスと英国の壁紙展」にでかけてきました。

 従来英国において、貴族や富裕層の館の壁の装飾にはヴィクトリア朝様式の漆喰装飾、手書きの壁画、ゴブラン織りなどの織物など、高価かつ重厚な装飾がなされていました。

 ところが19世紀になって、産業革命が興り、豊かになった中産階級の住宅が急激に増え、ガス灯によって明るくなった室内を「壁紙」という安価で自由にデザインを選択できる新しい装飾が大量に出現したのです。

 しかしながら、これら大量生産された壁紙は、前述の伝統的装飾の模倣が多く、創造性や手仕事の美しさがなく、魅力に欠けていました。


wikipedia
 このような時代背景の中、ウィリアム・モリス(William Morris 1834 - 1896)が出現しました。モリスはデザイナーのみならず、詩人としても、多方面で精力的に活動し、それぞれの分野で大きな業績を挙げ「モダンデザインの父」と呼ばれています。




 モリスが室内装飾に目覚めたのは、新居としてロンドン郊外に建てたレッドハウスです。
 中世のゴシック調を模した素朴なデザインの赤レンガの建物なのでレッドハウスと呼ばれました。

 ここでモリスは、モリス商会(Morris & Co.)を設立し、植物の模様の壁紙やステンドグラスのデザインや、インテリア製品を創り出し、この、生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想とその実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は各国に大きな影響を与え、20世紀のモダンデザインの源流にもなったといわれているのです。

 右は、モリスが最初にデザインしたとされる壁紙、格子垣」Trellis 1864 (小鳥は友人のフィリップ・ウェップのデザイン)です。

 前述の新居・レッドハウスにあるバラの東屋とその格子垣にヒントを得たとされています。

 これは、サンフラワー Sunflower 1879 です。

 このデザインは、プリントイメージを地の色の中に紛れ込ませるモリスの手法で、モチーフの背景を少し暗い色でプリントすることで残された地色の淡く繊細な色でイメージを浮かび上がらせています。

 単色のこの作品は、デザインのよさと、より安価さで、人気が高かったようです。

 
 冒頭のポスターに使われているデザインは、ルリハコベ Pimpernel 1876 です。このデザインで、特徴的な、大胆に渦を巻いているようなモチーフはチューリップの花なのです。
 一方、ルリハコベはチューリップの周りを生めるように配置されている、小さな花で、このように脇役のような花をタイトルに使うことがモリスの作品ではよくあるそうです。

 右は、バチェラーズ・ボタン Bachelor's Button ヤグルマギク 1892 です。
 渦巻くように配置されているのはアカンサスです。

 アカンサスはアザミに似た形の葉を持っており、その葉は古代ギリシア以来、建築物や内装などの装飾のモチーフとされていますが、モリスはこれをモチーフに 1875 壁紙ヒット作を出しています。


 その得意なアカンサスをベースに、バチェラーズ・ボタンをあしらい、版木を3枚に簡素化したのがこの作品です。

 バチェラーズ・ボタンはこの花を若い男性が上着のボタンホールに挿したことに由来し、その花言葉は「報いられる愛」。


 これは、ウイローボウ Willow Bough ヤナギの枝 1887 で、モリスの代表的デザインのひとつであるこの作品は、別荘で、次女とテムズ川に近い小川のほとりを散策しているときに生まれたと言われています。


 今回展示されている数々の壁紙は、そのモティーフが上下、左右に限りなく、かつごく自然に連続していく必要がありますが、作品を見れば見るほどうまくできており、その職人技の印刷術もあいまってすばらしいできばえでした。






 次に示すクリサンセマム Chrysanthemum キク 1877 は製作過程で使われる7枚の版木も展示されていましたが、浮世絵の製作過程と照らし合わせ、どちらもすばらしい技術だと感じました。

 このキクは東洋のイメージを取り入れたものかもしれませんし、高級な壁紙に使われる金唐革紙(きんからかわし)はかつて日本から輸出されていましたので、なんとなく親近感があります。

 ちなみに金唐革紙は表面に凹凸をつける型押しが出来、これを使用した同名の高級壁紙クリサンセマムはバッキンガム宮殿にも使われたとありました。

 120枚を超える作品に圧倒されて少し疲れましたが、モリスの壁紙デザインは、もちろんテキスタイルや家具も含め、わたしたちにより親しく感ずるのは何故でしょうか?
 これはモリスが提唱した、生活のなかの芸術をめざす、アーツ・アンド・クラフツ運動の考え方や自然との調和によるものかもしれません、そういえば日本にも「民芸」がありました!


 話は前後しますが、私たちはモリス展の前に昼食を済ませていました。
 お店は antica osteria BACIO ( 古き居酒屋 口づけ屋 とでもいいましょうか)で、なかなか予約が取れないお店ですが、友人のおかげで、、、大感謝です!!!

 イタリアでは、レストランがRistoranteリストランテ、大衆食堂はTrattoriaトラットリア、居酒屋をOsteriaオステリア、そしてピザ屋をPizzeriaピッツェリアと呼び分けているようです。

 予約時間に入店すると、店の中央部に空席が4席のみ(我々の)で後はすべて満席でした。

 店内は右写真のように落ち着いた雰囲気があり、ェフはもちろん店員はすべて元気そうな若者で、対応も実にスマートでした。

 シェフの修行先はトスカーナとかで、メニューはトスカーナ地方の料理を中心としたイタリアンです。

 料理は前菜とパスタ、デザートとコーヒーにしましたが、特においしかったのは、左上写真の「紅ズワイガニ、チーマ・ディ・ラーパ(西洋菜の花)、クリームソース、イカ墨をおり込んだタリアテッレ(リボン状の平たいパスタ)で赤ワインによくマッチしました。

 デザートもチョコレートのアイスクリームとケーキでおいしさを堪能しました。
 

 翌日、家人のアイデアで、我家の古びた襖にモリス展で買い求めた壁紙を、これも売られていたマスキングテープを使って貼り付けました。(右写真)

 この壁紙は、フルーツ Fruit 1864 で古くからある定番のひとつですが、部屋の雰囲気がずいぶん明るくなりました。

 健康な悠悠の日々に感謝です。

2019年1月22日火曜日

Z80 SBCへの CPM 搭載(3)

 より理解を容易にするために、CP/MControl Program for Microcomputer) が作動しているときのメモリ・マップを左図に示します。

 メモリは、8080、Z80が直接アクセスできる、0000H番地からFFFFH番地までのいわゆる64kバイトのRAM(Random access memory) 領域が必要です。

 今回搭載した62k CP/MではDC00H~F1FFH番地に CCP (Console Command Processor) と BDOSBasic Disk Operating System)が入り、次いでF200H~F430H番地に BIOSBasic Input and Output System)が入ります。

 そしてこの状態で、F200H番地からプログラムをスタートさせればCP/Mがスタートするのです。(もちろん前回までに述べたDISK(CFCard)などが作動する環境で、、、、)


 ところがCP/Mを移植するに際して、大変ありがたいことに、CCPとBDOSを合体させたファイルが、CPM22.sys 62kCPM.sys など呼ばれて存在します。
 既述のCPUVille のサイトのCP/Mの項目( http://cpuville.com/Code/CPM-on-a-new-computer.html )でのべられているように、「The Nonofficial CP / M Web Site」にある http://www.cpm.z80.de/binary.html の CP/M 2.2 BINARY ファイル(左下図)がそれに相当します。


 このファイルをダウンロードすると cpm22-b というフォルダーが得られ、目的とした CPM.SYSのほか、CP/M80のアプリケーション・ソフトが沢山入っていて有益です。(またこれらのソフトは個人が趣味で使うかぎり問題はないようです。)

 このCPM.SYSは62kCP/M用で、かつハードに依存しないので、そのまま使うことが出来ますが、今回の場合あらかじめ、バイナリ・エディタを使って、0000H~15FFHにファイルの長さをそろえておく必要があります。(下図の下部にある青色の部分を消去)


 一方、個々のハードウェア依存部分はBIOSに集中されているので、この部分さえ修正すれば自作のボードでCP/M80を走らせることが出来るわけです。

 BIOSはオリジナルに雛形があり(A Skeletal CBIOS)、これにひとつひとつパラメータを入れていってもいいのですが、今回は
CPUVille のサイトで使われている z80_cbios.bin を使わせていただくことにしました。そうは言っても修正部分はありますが、ほんのわずかです。

Z80 SBC(シングルボード・コンピュータ)の製作 (6) モニタープログラムの搭載」で述べたように、このz80_cbios.bin中にある82C51
 Data Register address   を 02H -> 30H
 Control Register address を 03H -> 31H へ変更します。


 さらにz80_cbios.binファイルの先頭に、左図のように 00 00 00 00 とNOPをアドレスを整合させるため、4個挿入しておきます。

 このようにして出来た、新しいCPM.SYSz80_cbios.binをそれぞれCPM.SYSをDC00H~F1FFHに、z80_cbios.binをF200H~にメモリに置き、F200Hからプログラムをスタートさせれば a> とプロンプトが表示されるはずで、動作の確認が出来ます。(この段階では Copyright のクレジットは出ませんし、プロンプトも A> ではなく小文字です。DISKへのアクセスも出来ません)

さらにシステム全体を理解するために下図を示します。


 中央が前述した、メモリ領域をすべてRAMにしたメモリマップで、CP/Mはこの状態で走ります。

 ついでながらTPA(Transient Program Area)トランジェントコマンドがロードされるメモリ上の領域で0100H番地から始まりますし、0000H~00FFH番地はCP/Mのワークエリアです。


 そして、左側が0000H~3FFFHのROM領域(16kbyte)を表したもので、右に拡大したものを掲げました。

 Z80システムのスタート番地(0000H番地)にはZ80 SBC(シングルボード・コンピュータ)の製作 (6) モニタープログラムの搭載」で述べたモニタープログラムがあります。
 1C00H~3430H番地にはCCP+BDOS+BIOSが一体化して収めてありますので、Z80の便利なメモリ転送機能を利用してCP/Mをスタートさせることが出来ます。
 すなわち、

MOUNT_CPM:
   LD   HL, 1C00H  ;Start addrs cp/m on ROM
   LD   BC, 1380H  ;Program Length
   LD   DE,0DC00H  ;Addrs to transfer
   LDIR
;
   3E   01H       ;Memory Bank Change
   D3   38H
;
   JP   0F200H    ;Jp to CP/M Start Addrs


 しかしながら通常のCP/MスタートはDISK(CFCARD)から実行されます。

 左図はその説明図です。複数あるディスクの最初のディスク(DISK0またはDISK A)の最初のトラック(TRACK0)の最初のセクター(SECTOR0)の部分を示しています。

TRACK0、SECTOR0 には
  IPL( Initial Program Loader )

TRACK0、SECTOR2から26
および TRACK1、SECTOR1から25 には
  CCP+BDOS+BIOS

がそれぞれ記録してあります。

実施例で、この場合のCP/Mスタートを説明すると、
・ モニタープログラムからDISKのIPLを8000Hにロード
・ このIPL8000Hからスタートさせると、DISKにあるCCP+BDOS+BIOSDC00Hへロードし、
・ 次いで、メモリバンクをオールRAMに切り替え、F200HからCP/Mをスタート
となります。

 以上から分かるように、CP/Mを構成するためのファイルは、前述の
 CPM.SYS(修正版)z80_cbios.bin(修正版)にくわえて、
 IPL:プログラムの役割については既述
 PUTSYSDISK0の最初の部分にCPM.SYS(修正版)z80_cbios.bin(修正版)およびIPLを書き込む
 FORMATDISKの使用セクターのすべてにE5を書き込む
などがあり、それらを組み合わせて構築します。
 詳細は CPUVille http://cpuville.com/Code/CPM-on-a-new-computer.html を参照ください。


 以上はZ80 SBCへの CPM 搭載についての全体像の備忘記録で、マニュアルではありませんので整合性や誤解などについてはご容赦ください。

 とはいうもののこのCPUVilleの記事「 Setting up CP/M 2.2 on a New Z80 Computer」は本当に役に立ちました改めて Donn Stewart さんに感謝です。

 現在は自作のZ80 SBCでCP/M‐80が軽快に動いています。
 強いて気になる点は、DISKの1セクターが512バイトもある中で、128バイトしか使われていないので、128GBのCFカードでも243kバイトのDISK4台構成である点です。

 またZ80 SBCもAKI-80ボードを使えばよりシンプルになることを思いつき、これに Grant Searle さんのシステムを載せてみたいと考えています。