生誕100周年記念となる中原淳一展に出かけてきました。
中原淳一という名前がどこか頭の隅にあったのは、思春期時代に遭遇した、あの目の大きな、どことなく憂いをたたえた国籍不明の美少女たちのインパクトが大変に大きかったことによるものでしょう。
このイメージは後年になって、あの竹久夢路を引き継いだものであったことを知るのですが、今回あらためて展示会を観覧するに当たって、それほどの予備知識を持って出かけたわけではありませんでした。
展示会は刈谷市美術館で先週から開催されていました。
ここは以前にも「安野 光雅 展」の開催時に訪れたことがありますが、なかなか立派な美術館です。(右写真)
3連休中のこととて午後は混雑するだろうと見当をつけて、お昼過ぎに入場できるように出かけましたが、駐車場も無事入れました。来館者はやはり女性が多かったものの、若い人も結構多く、母娘、夫婦のペアも目につきました。左写真が、美術館正面のディスプレイで、下写真が展示場入口です。
会場内は当然撮影禁止ですが、今展は写真撮影ができるいくつかのスポットが右写真を始め、いくつか用意されており、配慮に感心しました。(以下に掲載されているいくつかの会場写真は許可されたものです。)
以下中原淳一について私なりに調べました。
中原淳一は1913年(大正2年)四国・香川県にうまれました。
1925年(大正14年)小学校を卒業し母とともに上京したこの内気な少年は、早くに父を失ったため、母と2人の姉に囲まれ育ち、姉たちとともに西洋人形を作ることが大好きでした。(人形の展示もありましたが、立派でした)
1928年(昭和3年)日本美術学校入学、西洋絵画を学び、1932年(昭和7年)銀座松屋にてフランス風人形の個展を開催し注目を浴び、これを機に雑誌『少女の友』の専属画家として表紙、挿絵を手がけるようになっりました。(19歳)
しかし、戦争が始まると、優美でハイカラ、かつ目が大きく西洋的な淳一のイラストが軍部から睨まれ、軍部の圧力により、淳一のイラストはその後掲載されなくなってしまいました。
終戦後、雑誌『ソレイユ』(フランス語で太陽、ひまわり。後の「それいゆ」)を創刊し、国土が荒廃し物資が不足していた時代に、雑誌を通して生活を豊かにする方法を多くの女性に提案することで爆発的な売れ行きを示しました。ときに淳一33歳。
この間彼の活動は多岐にわたり、ファッションデザイナー、スタイリスト、ヘアメイク、作詞家、ミュージカルの演出など様々な顔を持ち、若い女性の憧れや装いを提唱し続けるすぐれたリーダーでもありました。左写真は彼のデザインを実現したもの。
彼の作品の原点は「竹久夢路」であったと紹介されていましたが、十分にうなずけるものがありました。夢路の生涯は1884~1934年であったので、中原淳一にとって非常に大きな影響を受けたことは想像に難くありません。夢路の大正ロマンが淳一の昭和ロマンにいくらかのバターを添えて、より多岐に展開されて引き継がれたものでありましょう。(写真右上)
「NHKの歴史秘話ヒストリアから」
読売新聞に掲載され映画化が決まった「緑はるかに」のオーディションで審査員を務めた中原淳一は、若き日の浅丘ルリ子の姿に自分の絵から抜け出してきたのではと感じるほど衝撃を受けた。主演は浅丘ルリ子に決まり、浅丘ルリ子はその後、大女優として成功を収めていった。中原淳一本人からヘアカットとアイメイクを施された浅丘ルリ子は、当時を振り返り「何もかもが衝撃的だった」と語った。
、、、、と、あるようにそのころの彼は多才振りを十分に発揮して、多くの場で多くの人と交わっていたことがわかります。最後に展示してあったのは「生誕100周年」の各界からのお祝いの色紙で、その多さと多岐にわたっているのに驚かされました。
あまり深く考えないで出かけたわけですが、その展示点数の多さ、作品の精緻さ(特にペン画の下絵)に驚かされました。そして、かつての思春期時代のテイストをこの歳になって再度味わわせてくれたこの展示会に感謝です。
2 件のコメント:
幼い頃 「それいゆ」という 本があって 母が買っていたのを 見ていました。 その本はを参考にして お人形も よく作ってもらいました。大きな目と ひまわりを よく 覚えています。本のサイズも 特殊だったので ひときわ 存在感がありました。 季刊か 1カ月おきかだったような記憶もあります。
10月3週の土日に 付知の道の駅で レディクラフト展がありますよ~ 奥様に お伝えください
rotaさん、お久しぶりです。ブログでのご様子では、日々お元気そうで何よりです。
中原淳一さんの絵は、われわれ世代にとって本当に、次世代の人たちにはわからないだろう懐かしさを感じますね。「それいゆ」もバックナンバーが展示してありました、、、、
レディクラフト展の件家人に伝えておきました、「くれぐれもよろしく、、、、」とのことでした。
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