2025年6月13日金曜日

Windows 11 を導入しました。

 遅まきながら、Windows 11 を導入しました。

 現在使っている Windows 10 のサポート終了日が今秋の10月24日に迫っています。終了日が過ぎても使うことはできますが、 Microsoft 社からのソフトウエア更新やセキュリティ修正プログラムの提供がされなくなり、セキュリティ・リスクが増大してしまいます。

 現状の EPSON Endeavor ( CPU:Intel Core i5-4440 ) の  Windows 10を Windows 11にアップデートすることも考えましたが、更新要件に1GHz以上で2コア以上の64ビット互換プロセッサIntel 8世代 Core i シリーズ以降というのがあってこれに抵触して、アップデート不可!!とありました。
 たしかに Core i5-4440 は2014年に発売された第4世代のCPUで、11年も昔のものです、Intel もより新しい CPU を売りたいのは理解できますが、、、、

 右写真は先代のパソコンを導入した時のブログ記事(新しいパソコン(EPSON Endeavor AT992E Core i5 4440)の立ち上げ)のもので、その日付が2019年7月14日となっています。
 もう6年間も特に問題も起こさず、ほぼ毎日私と付き合ってきた、いわば戦友のような存在です。ここいらで本体も更新するのがよいのでは、、、、と考えました。

 もともとパソコンに関しては、当初は自分で組み立てていましたが、ある時期から企業などで使っていたリース落ちを使うようになりました。

 利点は、何よりも安価なことで、OSはその時点で最新のものが搭載され、場合によっては Office までもインストールされています。
 問題があるとすれば HDD でしょうが、マザーボードも含めこれまでにトラブルはは皆無でした。リース落ちは3~5年落ちですが、製品の質がいかに高いかを実践して体感してきました。購入後、手を入れたのは HDD の高容量化、SSDによる高速化ですがこれらは楽しみながら自分で対応してきました。

 今回も同様のものをネットで探しました、私の用途はメール、インターネット・サーフィンでOffice がインストールされていれば十分です。
 ちなみに現在のリース落ちのメインは  第8世代のCore i5 8500 のようですが、今回は第9世代の Core i5 9500 搭載のものを選びました。この CPU は2019年に発売されており、ちなみに最新のものは Core i5 14400 で第14世代に当たります。それらの性能比較を上表に示します。

 今回購入したのは、HP ProDesk 400G6 で冒頭写真に寸法を書き入れておきました。

OSはもちろん Windows 11、Office は2019 版がついていましたがシリアル・ナンバーなどはありません。
また今どきの常で、主記憶ドライブにはNVMe の SSD 256GB 、メモリは8GB(1/2スロット)、DVD R/Wが搭載されており過不足はありません。
 右写真は主記憶ドライブにはNVMe の SSD 256GB で私には初めてのご対面です。確かに小型、高速、安価ではありますが寿命が??とのうわさもあり今後を注視していきます。
 
 HP ProDesk 400G6 はもともと主記憶ドライブには 500GB 程度の HDD が使われていたのが、マザーボードに NVMe のソケットが予めあったことで、今回需要?(商品力アップ)に合わせてNVMe の SSD 256GB に載せ替えたものと推察します。ことのついでに D:data ドライブに 256GB の SSD を搭載しておきました。

 もうすでに数日経ちますが特に問題はなく軽快に動いています、Windows 11 も大きな違和感もなく普通に使えています。

 少し手を加えたのは、バックアップなどのための HDD をマザーボードに直接接続するために(少しでもスピードが欲しい、USB とちがってプラグ&プレイができないので着脱はコンピュータの電源を落として、、、、)小物を作りました。(左写真)

 あと、システムのクローン作製のためUSB・NVMe SSD 変換ケーブルの入手が急務です。


 設備の更新?もあわせ Windows 11 のアップデートを行いました、もしかしてこれが最後のコンピュータになるかも、、、、

2025年5月19日月曜日

その手は桑名の蒸し蛤、、、

 左の絵は安藤広重の浮世絵、東海道五十三次「桑名宿」です。
 「桑名宿」とは、今年の4月初めにNHKの「ブラタモリ」 の伊勢路で放映されていた七里の渡しの終着点の湊の絵なのです。

 当時の東海道五十三次は尾張の国の熱田神宮(宮宿)から海上を桑名宿まで船で渡ることになっていました(もちろん陸路もありますが、、、)。

 参考にさせてもらった wiki 掲載の地図(右)によれば、海岸線も今よりずっと内陸寄りだったので、宮宿から桑名宿はほぼ直線で結ぶことが出来、いわば見通しのきいた対岸の場所であったようです。

 前述したように、桑名はかつて徳川幕府にとって交通、さらには西国に対する重要防御地であったことは理解できますが、今日においては何となく影が薄い存在のようです。

 今回の本題は、番組の中でタモリさんがおいしそうに食べていた、焼き蛤を是非味わってみたい!!!ということなのです。

 左写真はかつての「七里の渡し」の終着点の現在の様子です。この写真は冒頭の浮世絵と同様のアングルで撮影してありますので何となくイメージが重なります。
 ただし前方の矢倉「蟠龍櫓は近年に再建されたものだそうです。




 右写真は「七里の渡跡」にある伊勢の国一の鳥居です。
 この鳥居は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮ごとに、伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えているものだそうです。

 左の観光案内図で現在地と大きく書かれているのが
「七里の渡跡」です。

 ここから赤い線に沿って旧東海道が南下していきます。
 約20㎞南の四日市市日永の追分で旧東海道と旧伊勢街道が分岐しますがこのことからも往時は随分賑わったことが推察されます。

 図の中央部に「歌行燈」とありますがこれがお目当ての焼き蛤のお店です。開店が11時ということで約1時間前に着きましたが、幸い受付票が用意してありましたので、一番最初に記名し、開店までの約一時間、あたりを散策することにしました。

 となれば桑名城ですが、残念ながら今は存在せず、跡地が九華公園となっています。(右図)
 中央部の赤丸が天守閣跡です。水色は堀で約60パーセントの多くを占めています。



 前述したようにこの地が要衝の地であることから関ケ原の合戦ののち伊勢の国桑名に封ぜられ桑名城の築城、城下町の整備を行ったのは本多忠勝です。

 公園内に銅像がありますが、巨大な鹿の角の脇立て付きの兜姿は過日のNHK大河ドラマを思い出させます。












 約450本あるサクラは終わったものの今はツツジがきれいです。花菖蒲の数も約8,000株と著名な名所となっているそうで、これらの彩から「九華」の名がつけられたのでしょう。

 右写真では読みにくいですが、「三重県指定史跡桑名城址」とあります、まさに兵どもの夢のあと、、、











 左写真は九華公園内の吉之堀と橋上の8角形の屋根を持つ休憩所です、赤い橋が周りの緑の中できれいです。

 頃合いを見計らって「歌行燈」に戻ってきました、店の周りには約10人ほどが開店を待っていました。
 店の正面はそれほど大きくありませんでしたが、奥行きが結構あり、かなりのお客さんを収容できそうです。

 この店の格子に張り付けてあった青い小さなプレート(右下に拡大)には店前の道路が旧東海道であると表示してありました。

 この店は泉鏡花との関連があるそうです、泉鏡花は明治43年(1910)37歳の時に桑名を舞台にした「歌行燈」を発表しました。
 この中に「志満や」が登場しますが、この「志満や」が現在の「歌行燈」ということです。ちなみにこの店の創業は明治10年とか、、、
 上写真の右上の屋号を書いた行燈に、横にしゃれた文字で「歌行燈」、正面に少し小さな文字で「志満や」と記してあるのがわかります。

 お待たせしました~、開店時間になったようです。
 
 








 元々この店はうどん・そばの店ですが、お目当ての焼き蛤をセットにした、大焼蛤御膳をオーダーしました。高級天ぷらうどんランチに焼蛤(3個)をつけたようなものです。まずは前菜と鍋(蛤入り)が出てきて固形燃料にさっそく火がつけられます。

 「小さな穴から蒸気が沢山出て、中でカチンと音がしたら蓋を取って、、、」とのご教授、待つことしばしシュー、カチンでさあ御対面(左写真)です。
 おー、直径数センチもある蛤はまさに大蛤!!
 味も食感も、、、最高、、、でした。ただこれって焼き蛤ではなく蒸し蛤?! 幼い時に食べた焼き蛤は炭火直焼きだった、、、


 ついで本体?の高級天ぷらうどんランチが出てきました。
 流石老舗の味でおいしくいただきました、右側の器は上が茶わん蒸し、下がご飯です。



 やはり気になって調べてみました。
 葛飾北斎「東海道絵」より 「桑名」が左の絵です、蛤を松ぼっくりで焼いていますが、他の絵も同様なやり方で、蒸し焼きをしているものはありませんでした。

 蛤料理としては最高でしたが、焼蛤と称しているのが気になりました。

 焼蛤目当ての桑名行きでしたが、桑名について多くを学べたことも何よりでした。
 そこで再度 「その手は桑名の蒸し蛤、、、」

2025年4月30日水曜日

9R-59D の MOD その3(IF_ProductDET そして完成)

 前回、前々回に引き続き今回は、その3、最終回です。
 今回は上図の IFアンプ部、プロダクト検波部、安定化電源などについて説明していきます。

 今プロジェクトの目玉は、その1で述べたように、中間周波(IF)トランスに松下電産製の
2IF-N1 の採用です。松下電産とは松下電器産業のことで、そののちのパナソニックのことです。海外、特に米国への輸出が増大していく中で、当時採用していたナショナルのブランド名は、すでに現地米国で流通していた有名な他企業のブランドでしたので、トラブルを避けるために急遽変更したものだと思われます。

 思い返せば、この商品が登場した1961には松下電産は周波数直線型のバリコンなども販売しており、それこそ垂涎の的でありました。
 それらの部品を使用した、通信型受信機 CRV-1 の公表されている回路図を転載します。


 IF回路はこの回路図を参考に組み立てましたが、特に発振などのトラブルはありませんでした。ここで総合選択度 2.8kHz (-3dB) の秘密?を見たくなって IFT を分解してみたのが左写真です。

 一見して特段変わったところはありません、多少二つのコイルの間隔が広いようには、、、気のせいかも。

 またそれぞれのコイルにはタップが出してあり、さらに3個あるIFT のうち検波用(再終段)には Q5'er 用の巻線も備えてあります。

 この IFT は元々の 9R-59D のものより大きいので、 9R-59D のシャシー上の IF 基板スペースには収まらず、右写真のように、再終段の検波用 IFT は右方向のプロダクト検波+低周波出力の基板に侵入して設置しました。

 次いでプロダクト検波ですが、「アマチュア無線用ではなく、ジェネラルカバレッジとして MOD するとは言っても折角狭帯域の IFT を採用したわけだし、、、、 で、最小限にとどめる策を考えました。

 オリジナルは、プロダクト検波に 6BE6 を用い、BFO に 1/2 6AQ8 そして余った? 
1/2 6AQ8 で低周波増幅、最後に 6AQ5 低周波出力となっています。

 元回路では 6BE6 を使っていますので、この際、自励発振式で行けないか?とネットで探した結果、ありました!!!  同じようなことを考えている人がいたようで、
「 https://www.valveradio.net/radio/product-ssb-detector-in-9r-59ds.html 」
 まさにほしかった資料で、プリント基板の変更まで写真付きで掲載されていました。

  回路図を掲載しておきます、細部の定数までの検討はしていませんが無事作動しました。BFO コイルもそのまま使用できましたが、極性には要注意です。

 6BE6 の自励発振式は周波数の引き込みがあるとかで、あまり使われていないようですが今回は良しとしましょう。
 
 右上写真は完成したプロダクト検波および低周波出力基板です。

 左から 2IF-N1 の検波段 IFT トランス、次いで 「AM 検波、AGC 検波」部、 6BE6 プロダクト検波部、BFO コイルです。
 いちばん右に低周波出力部ですが、これは半導体 IC のLM386G を用いた定番回路です。
何種類かの増幅度を選択できますので簡易で使用するには便利です。
 この結果、使用真空管は 6BE6 のみになり、6AQ8、6AQ5の2本が節約でき、消費電力も減りました。

 最後に、局部発振の 6BE6 とプロダクト検波 6BE6 とに供給する 115V B+ 電源の定電圧化を図りました。
 左に要所の回路図を示しますが、LM317 はフロート状態にありますので、入出力差が 30V を超えないように注意すればうまく働きますし、定電圧放電管を用いるよりははるかに廉価です。
 ただし高電圧の取り扱いなので安全には十分注意してください。

 S メーターは FET を使った簡易版を仮に取り付けてありますが、S メーターは奥が深くまだまだ検討が必要です。

 以上、何とか当初の目標を達成することが出来ました。今のところ低 HF 帯が活発なのでしばらくは楽しめそうです。
 肝心の IFT (2IF-N1) についてはSWLについては少しすっきりした感じがしますが、7M帯のアマチュア無線では無いよりまし?くらいでしょうか、でも1960年代を思い出しながらのワッチはまた格別なものがあります。

2025年4月18日金曜日

春、真っ盛り

 いまや春、真っ盛りです。
 左写真は、待ちに待ったアスパラガスが我が家の庭に、一斉に芽を出したところです。
 この日のために家人は、昨年は収穫を最小限にし、できるだけ葉を育て、もちろん水やりに始まって肥料も施し、寒い冬には枯葉などで覆ったりして可愛がってきましたので、その喜びはひとしおのようです。

 アスパラガスの原産地は、南
欧・ロシアとされており、分類はユリ科アスパラガス属だそうです。
 またアスパラガスは雌雄別株だそうですが見分けるのは難しいとか、、、、たしかに、実や花を食べるわけではないのでどちらでも、、、、とはいっても、わがアスパラガスは雌?雄?

 アスパラガスは代表的な緑黄色野菜で、多くの種類のビタミンなどを含みますが、新陳代謝を促進するというアスパラギン酸はよく知られています。

 うまく育てれば一株でも10年くらいは収穫できるそうでまだまだこの先が楽しみです。


 右写真は、ようやくにして大きく育ってきたジューン・ベリーがこの春付けたきれいな花です。この木はその名前が示すように、6月に小さな甘い果実をつけますが、昨年は熟した、、、、とおもったら、あっというまもなくに小鳥さんが片付けてくれました。

 落葉した葉が芽吹く前に白い可憐な花が咲き(バラ科)次いできれいな緑に覆われ、6月には前述のように実がなり、秋には紅葉、、、、と多くを楽しませてくれますが、小鳥さん対策をどうするかが懸案です。
 
 左写真はブルー・ベリーの花です。
 この樹も今春はこれまでになく、多くの花をつけています。でも結実する割合が少なく、またそれを小鳥さんも待っていますので、、、、
 
 ブルー・ベリーはアメリカ原産のツツジ科の植物で、他家受粉が必要なようですが、我が家には1本しかなく、それが結実の少ない原因かもしれません。

 お隣さんの花粉目当てでは、、、、かてて加えてこのブルー・ベリーは虫媒花だそうで、ミツバチなどをほとんど見なくなった今日この頃では一段と受粉がむつかしくなってきているようです。






 今回最後の緑の葉がきれいな右写真は、ミントです。
 ハーブと言えばミントと言われるほどに良く知られている、シソ科ハッカ属の植物です。和名のハッカを薄荷と書くのを初めて知りました。
 私はこのミントの清涼感が好きで、デザートなどに添えてあると、真っ先に口に入れてしまいます。
 このミントは直接地面に植えると、繁殖力が強く、根(ランナー)を縦横に張り巡らせ、他の植物を駆逐するなどの悪さをするそうで、写真のように鉢植えが正解のようです。

 多くの花が開花している中でも、今までとは少し違った春真っ盛りを感じるこの頃です。

2025年3月24日月曜日

我が家の櫻が開花しました

  寒暖差の激しい気候故か、サクラの開花宣言も今一つのこの頃ですが、我が家の開花の報は3月に入ってしばらくしてから連絡がありました。

 6人いる孫たちの最後の高3がようやくにしてところを得ましたが、なにせ出来が???などと事前の風評は芳しくなく、心配していましたが、最後の最後に親も驚く結果を出し、無事安堵いたしました。

 心配のせいというわけではありませんが、私にしては久方ぶりの体調不良で、好きなゴルフにも参加できずにいましたが、この話を聞いて元気百倍、、、さっそく上京してきました。


 右写真はこの大学の創設者である大隈重信氏の銅像でキャンパスの中央部にありました。作者は東洋のロダンと言われた彫刻家、朝倉文夫氏によるものだそうです。









 左写真は、遠くに演劇博物館を望む門です、昨日の雪混じりの天候とは異なり、うららかな春日和ということで新入学の子や孫とともに訪れる家族の姿がここかしこに、、、、

 右写真が、坪内逍遥を記念してできた演劇博物館です、この建物は16世紀イギリスのエリザベス王朝時代の劇場であるフォーチュン座をモデルにしたものだとか、流石の威風堂々、シェークスピアのイメージも感ぜられます。



 そして左は、この大学のシンボルにして、大隈重信氏に対する記念行事として昭和2年に竣工した大隈記念講堂です。
 ロマネスク様式を基調とし、ゴシック様式を加味したこの建築物は我が国近代の折衷主義建築の優品であるとのことです。

 こののち、うち揃ってお祝いのランチに繰り出しました。


 翌日も暖かい日に恵まれ、帰宅前のランチに出かけました。

 場所は以前にも行ったことがある、星城風月堂 で、ここのケーキセット付のランチがお目当てです。

 私はキッシュ+ガトー・ショコラをオーダーしました、ケーキに SEIJYO HUUGETUDO のマークが乗っています。これに加えて食後のコーヒーとともに、、、ごちそうさまでした。

 帰りの新幹線の車窓からの富士山です。家人に注意喚起されて気が付きました、、、きれいです。

 正月からこの方、何かしら心にストレスがあったのも、ようやく春の訪れとともに解決しました。次は1歳半になるひ孫の番ですが、当然我々の時代ではなくなっているでしょう、、、、

2025年3月11日火曜日

9R-59D の MOD その2(RF、MIX、OSC)

 本プロジェクトの構想が終わってほぼ一か月が経ちました。
 ことのついでに、、、と 9R-59D を完全にパーツレベルに至るまで、分解し、清掃しました。

 そうです、コイルパックも分解してロータリースイッチの接点も清掃しておきました(左写真)。
 こうして改めて観ると、メイン・バリコンとスプレッド・バリコンの配置、コイルパックの配線の冗長さが気になりますが、構想のところで少し述べたように、本機が通信型受信機と言いながら実際には一般のゼネラルカバレッジレベルのものであるとすれば納得がいきます。

でもそれにしてはダイアルの周波数表示目盛りが必要以上に期待をそそるデザインです、、、、

 今回は受信機の頭の部分、言い換えれば高周波・周波数変換・ローカル発振回路(RF、MIX、OSC)を 9R-59D をベースにして製作していきます。

 左がRF部の回路図で 9R-59D そのまんまです。

 ここはオリジナルでは 6BA6 という5極管が使われていますが、6CB6 や 6DK6 などそのまま差し替え可能な多くの球がありますので差し替えてその違いなどを楽しみたいと思っています。 

 次いで周波数変換部ですが、オリジナルの 6BE6 (7極管)から 6EA8 (5極管)に変更してみました。

 これは巷間、変換ノイズが7極管より5極管のほうが小さいといわれていますので一度試してみたかったことによります。

  6EA8 は5極・3極の複合管なので、3極管部は入力されるローカル発振信号のバッファーとして使い、ローカル発振には発振出力も大きく実績のある 6BE6 を3極管結合で使います。

 回路図を右に示します。

 ここで一苦労したのはシャシーの金属加工です、なにせシャシーの材質は鉄ですので、、、

 左写真の右に示しておいたように、オリジナルでは
 ① RF   6BA6 7ピンソケット
  MIX   6BE6 7ピンソケット
    OSC   6AQ8 9ピンソケット
ですが、前述のラインナップでは 
 ① RF   6BA6 7ピンソケット
  MIX   6EA8 9ピンソケット
    OSC   6BE6 7ピンソケット
にそれぞれ変更せねばなりません。
 はシャシー・パンチを使い 穴を大きくし、は小さな7ピンソケット用のアダプターをアルミ板で作り、無事写真の左側のように仕上げました。

 右写真は上写真の裏側を示しています。左側から①②③となっており、今まさに③のOSC回路のみを作動させて様子を見ているところです。

 このようにして次回は中間周波回路となる予定ですが、RF_GainとAGCについての関連性を示しておきます。 

 左図に示すように 9R-59D と同様にしました、細部はまた調整していけばいいでしょう。

 RF_Gain に使う10kΩ Cカーブの大型ボリュームはもう入手は絶望的ですが、幸いジャンクボックスにあったものを使用できました。
 AGCはAM、SSBそれぞれで有無を選択できるようにしました。

2025年3月1日土曜日

我が家の庭に春が来た

  左写真のように、我が家の庭に春が来ました。
 もっともワズイセンなどはもっと早くから咲いていますが、我が家で春の始まりと言えば何と言ってもクロッカスなのです。

 暖冬と言われながらも、この2月に入ってからの久しぶりの寒さで、クロッカスの芽が顔を出したのに気づいたのは2月14日でした。(右下写真)


 クロッカス (Crocus) はアヤメ科クロッカス属の総称で春に花開きます。
 秋に咲くものはサフランと呼ばれ、その雌しべを乾燥させたものは香辛料として知られています。


 2月20日になって蕾が元気よく伸びてきていました。(左写真)

 そしてその翌日2月21日にはさらにつぼみが膨らんで右写真のようにふっくらと可愛さが増してきました。







 さらに2月23日には開花です。
 当初我が家のクロッカスは黄色でしたが、近年白色も加わって一層華やかになりましたが、こうして観察してみると白色が若干早いように見受けられました。





















 黄色のクロッカスも2月25日には何事もなかったように開花しました。

 今年も無事で幸せな1年でありますように、、、、