2025年9月6日土曜日

SDR を動かしてみました

  ひさしぶりに SDR を動かしてみました。
 SDR は Software Defined Radio (ソフトウェア定義ラジオ)の略で、ラジオの主な機能をハードウェアではなく、ソフトウェアによってコンピュータから制御することができるものです。

 ひさしぶり、というのはかなり昔に左写真にあるような DVT-T+DAB+FM を使ったことがあるからです。これらはもともとコンピュータのUSB端子に挿し、アンテナをつなぎ簡易にTVやFMを楽しむために欧米で開発されたものです。
 ところがチューナーICの R820T の受信範囲が24~1766MHzもの広範囲にわたることから、一般のラジオ放送も聞けるような制御ソフトを開発した賢者がいたのです。
 ただ周波数下限が24MHzなので写真左上にあるようなアップコンバータを用いることもありました。

 今回使用したものは、左写真にあるような、最初からラジオ受信機として設計されたもので、かなり以前に興味を持って、詳細を確認しないまま、Aliのバーゲン時に入手しておいたものです。

 ネットで色々調べた結果、これは SDRplay 社のRSP1というモデル(10年以上前に発売、今では販売終了)に近いものと分かりました。
 ただしLNA(低雑音高周波アンプ)や周波数帯を切り替える回路が省略されています。
 でも一方、ありがたいことには受信周波数範囲が、10kHz~1000MHzと広く、使用しているADCが DVT が 8bit であったのに対し、本機は 12bit である点で技術の進歩を感じます。(最新モデルは 14bit ! )
 さらには 24MHz の発振器には 0.5ppm の TCXO が搭載されており、測定器のように使えるかも、、、、

  また使用しているICチップセットは汎用のMSi2500、MSi001なので、公開使用例を使っていればクローンとは言えないかもしれませんが、ソフトはフリーで頒布されているものが使えます。

 右図は今回の SDR の構成図です。

 アンテナ端子は、5個の SMA 端子があり、それぞれに受信バンド別にアンテナを接続するようになっています。

ANT_1 :
   0~30MHz
ANT_2 :
  30~60MHz
ANT_3
 50~120MHz
ANT_4 :
 120~150MHz   ANT_5 :   400~1000MHz

 アルミニウム板でケースを自作しようかと思ったのですが、詳細が判明するまでの間、左写真のようにプリント生基板でサンドイッチすることにしました。

 さて、SDR というからにはソフトなければタダの、、、
ということで先ずは RSP1 が推奨している SDRuno をインストールします。(ネットで探せばすぐわかります)
 インストール時には本体をコンピュータから切り離しておかなくてはなりません。


 SDRuno のマニュアルもネットにありますので、スタート前に読み込んで理解しておきます。 アンテナを、しかるべきアンテナ端子に接続し、本体をコンピュータのUSB端子につなぎ、 SDRuno を始動させれば上写真のようなそれこそ別世界がスクリーンいっぱいに広がります。
 SDR の世界では定番の HDSDR も少し複雑ですが、冷静にネットの記事を参考にすれば無事インストールできました。

 現在色々な受信機を製作していますが、IF 以降をこのSDR に受け持たせれば、かなりいろいろな手間が省けそうです。
 例えば IF 455kHz であれば直接この SDR で受信できますし、受信モードも AM,FM,CW,LSB,
USB 尚且つ帯域幅もそれぞれに応じ、高価なフィルターを購入することなく実験ができそうです。

 またこの SDR のソフトを入れ替えるだけでスペクトラムアナライザーに変身できるという記事を見つけました。追ってアップしたいと思います。

2025年7月31日木曜日

エイジシュートを達成しました。

 先週末(7月25日)、小原カントリーにてエイジシュートを達成しました。

 エイジシュートとは、ゴルフのラウンドにおいて自分の年齢以下のストロークでプレイすることで、ゴルファーならプロ・アマを問わず一度は達成してみたい目標なのです。

 スコアはインスタートで、42-3880でした。私の年齢は82歳ですので、2アンダーで達成したことになります。

 上写真はその小原カントリーのクラブハウスですが、当日はまさにこの写真のとうり素晴らしい天気でした。連日35度越えの猛暑日ではありましたが、ここ小原の地は若干海抜も高く、心地よい風のおかげで暑さはさほど気になりませんでした。 以下にスコアカードを示します。










 赤い枠で示してあるのが私のスコアです。
 インコースは珍しくノーボギーでラウンドし、アウトコースは最初にダブルボギーとしたものの4番ホール以降は1アンダーと出来過ぎのラウンドで、俗に言う「ゾーン」なるものを体験した感がありました。

 この結果を評価すべく、AIさん( GoogleのチャットGPT)に質問してみました、

(私)こんばんは、
(AI) こんばんは!お元気ですか?

(私)今回エイジシュートを達成しました。エイジシュートについてもう少し詳
しく教えてください。
(AI) おおっ、「エイジシュート」達成、おめでとうございます!ゴルファーにとってこれは⼤きな偉業ですね。

エイジシュートとは
**エイジシュート(Age Shoot)**とは、「その⽇のラウンドで出したスコアが⾃分の年齢以下であること」を指します。
たとえば、70歳の⽅が18ホールで70ストローク以下で回ると「エイジシュート達成」となります。69歳の⽅が69ストロークで回ればそれも達成です。

難しさ
年齢が若いほど難易度が上がります。プロでも60代で達成するのは極めて困難。
ゴルフ界では「70歳で70を切る」のが⼀つの基準とされていますが、60代での達成は超⼀流プレーヤーの証です。
⾼齢になるにつれて達成のチャンスは増えるものの、体⼒・技術が衰えないことが条件なので⾮常に価値ある記録です。

世界記録
アル・ブラック(⽶国)は71歳の時に58ストロークでエイジシュートを達成し、これが「最も年齢を下回ったエイジシュート」として知られています。

エイジシュート達成がどれだけすごいか
ハンディキャップがシングルでも簡単に達成できるものではありません。
⼀⽣ゴルフをしていても達成できないプレーヤーの⽅が圧倒的に多い。
「ゴルファーの⽣涯⽬標」として語られることが多いです。

差し⽀えなければ、何歳で何ストロークだったのか教えてくれますか?
それに合わせてどれだけすごいことか「具体的に数字で」お伝えします!

(私)82歳と7か⽉で、スコアは80でした。
(AI) すごいですね!!82歳7か⽉でスコア80というのは、間違いなく「⽴派なエイジシュート達成」ですが、それどころか 年齢を“2打”も下回っているので、かなり価値の⾼い達成です。

数字で⾒る「あなたのエイジシュート」の凄さ
82歳でエイジシュート達成できるゴルファーは全体の0.1%以下と⾔われます。
80というスコア⾃体が、アマチュアゴルファーの中でも上位5%以内の腕前です。
80歳を超えて年齢を下回るスコアを出すのは、シングルプレーヤーでも容易ではなく「シニアゴルフ界の名誉記録」です。

ちなみに…
プロでもエイジシュートは70代後半〜80代でやっと達成することが多く、アマチュアで「80歳を超えて70台・80前半」で回れる⼈は本当にごくわずか。
つまり、
「82歳で80を出した」ということは、プロアマ問わず“世界基準”で⾒ても特別な偉業」と⾔って間違いありません。
本当におめでとうございます。
次は「年齢 ー3打」、すなわち 79ストローク を⽬標にしますか?
(すでに⼗分すごすぎるんですが…!)

(私)ありがとうございました、さらに精進します。
(AI) 素晴らしい⼼構えですね!
エイジシュートを達成した上で「さらに精進」とおっしゃる姿勢、本当に尊敬します。
ゴルフは年齢を重ねるほど奥深く、技術・メンタル・体⼒のバランスが問われますが、今回の達成がまさに「⻑年積み重ねてきたものの証」です。

これからも「⾃⼰ベスト更新」や「ゴルフの楽しさそのもの」を追求し続けてください。
次回のエイジシュートの報告も、⼼から楽しみにしています。
またいつでもお話し相⼿になりますね!
ナイスラウンド & グッドゴルフライフ! 

、、、、ということでした。AIさんは実にやさしく接してくれました。

 ゴルフに関しては、自己流の、見様見真似の私が思ってもみなかったエイジシュートを達成したことはまさに奇跡だと思っています、一方この歳までゴルフができることは友人、家族、健康、、、に感謝感謝です。

2025年7月5日土曜日

レンゲツツジとニッコウキスゲ

 例によって気まぐれの虫が騒ぎ出し、おなじみの蓼科に出かけてきました。
 この時期は5月の連休と夏休みの間にあって、我々のように時間が自由になるものにとっては混雑を避け、ゆっくりとした旅ができます。
 そんなことで例年ニッコウキスゲを観に出かけていたのですが、昨年は都合で来られず、今回は少し早めの蓼科旅行となったのです。
 なのでニッコウキスゲには早く、レンゲツツジには遅いとあって、、、、さてさて、、、、

 当日の天気予報は 曇/雨 で山へ登るのはやめようかとも思ったのですが、とりあえず行ってみよう、、、、ということになりました。上写真は久しぶりに見る蓼科山と白樺湖です。











 定番のニッコウキスゲ鑑賞場所の富士見台ですが、幸いチラホラと咲き始めていました。
 雨は止んでいますが、時折押し寄せる雲でぼんやりとかすんでいます。
 かなたにはレンゲツツジの赤い花も見えています、数こそ少ないですが、ともに観られて本当にラッキー!!でした。 

 奥にぼんやりと見えているフェンスは防鹿用です。電気柵と併用してあり、そのおかげで一時鹿に食べられて全く見られなかったニッコウキスゲが、最近では山のあちこちで見られるようになったのです。一方、レンゲツツジは毒性が強いのでこの限りではないようです。











 幸いお天気も良くなってきたようなので、車山の西肩にあるコロボックルヒュッテまで登ることにしました。登るといっても車なので大したことはないのですが、標高1820mというのはかなりのものといえますし、何せここは50年以上前によちよち歩きの長女ともども宿泊の、思い出の地なのです。

 休息ついでに、コーヒーをケーキ(シュトーレン)付きでいただきました、人も車も少なく久しぶりにゆっくりとした時間の経過を味わうことができました。








 右写真は遠く八島湿原方向を望んだものですが、山の斜面に白くコバイケイソウが群生しています。右下の谷あいにはよく見かけましたが、こんなに上まで群生しているのを見たのは初めてです。

 さすがにここは富士見台より高地だけあってニッコウキスゲの花は少なく、たくさんのつぼみの中にポツリポツリ、といったところでした。








 一方レンゲツツジはそろそろ終わりだとはいえ、まだまだ綺麗で、雲と雲の間から見える山々を背景にすばらしい景色を見せてくれました。

 最盛期にみられるニッコウキスゲの一面の黄色い景色ではありませんでしたが、レンゲツツジ共々に楽しめたのは予想だにしない僥倖でした。


 そののちホテルへチェックイン、温泉を十分に楽しんだのち夕食です。

 ビュッフェスタイルを十二分に楽しんだのち、これも恒例の蛍狩りへ、、、、しかし残念ながら今回は時期が早かったか?大雨で流されたか?で期待した点滅の乱舞は見られませんでした。

 左写真は朝食時のプレートです、これでも自制したつもり、、、、



 幸い二日目も天気の心配はなさそうということで、とりあえずバラクラ(、、、イングリッシュガーデン)に出かけることにしました。

 この時期はバラも終わりあまり花は期待できません、右写真は入口のシンボルドームです、こんにちはお久しぶり、、、、













 左写真はバラクラのシンボルツリー 黄金アカシアで、ここから全国に広がった!と説明がありました。

 ゲートを入って真っ先に見える景色です、これはこれで何か懐かしさを感じます。









 予想したように花は少なかったですが、あちこちにあしらわれた鉢植えと成長の季節を迎えた木々の色、勢いが、回復した天候とも相まって、それを補ってくれました。

 右は、折角バラクラに来たのだから、、、、と、ようやく見つけたバラのショットです。















 本来ならばこのアーチにもつるバラがいっぱい、、、、のはずでしたが、、、、季節外れの早朝で来園者も少なかったのか、よりさみしい風景でしたが、半面ゆったりと過ごすことができました。


 こののち諏訪大社へお参りしました。

 AIさんに聞いてみたところ、「諏訪大社はもともと上諏訪神社と下諏訪神社という別々の神社だったものが、明治時代に一つの神社として扱われるようになり、それぞれ上社・下社となり、さらにその後、上社は本宮と前宮、下社は秋宮と春宮の四つの神社となった」のだそうです。

 これらの神社をすべて参詣するには少なくとも半日がかりなので今回は諏訪大社本宮のみお参りしました、ちなみにこれら四社は同等だとのこと、、、、

 下写真の、諏訪大社本宮とある右側に直立しているのが御柱祭りで有名な、御柱です。

 御柱は7年に一度、山からモミの木を伐りだして、氏子が神社まで運びその四隅に建てるものだそうで、諏訪大社は4宮あるので、合計16本の御柱が今現在立っていることになります。




 






 拝殿前に花菖蒲が飾ってありました。
 これは下社春宮で6月下旬に執り行われる、氏子が花菖蒲を奉献する「あやめ奉献奉告祭」の流れと思われます。

 拝殿には神主さんが昇られ、何かお祈りをされています、わたしたちも二礼二拍手一礼で「天下泰平、五穀豊穣、家内安全」をお祈りしました。

 突然の思い付きでしたが、良い一泊旅行ができました。
 いまさらながら健康であることのありがたさをかみしめています。

2025年6月13日金曜日

Windows 11 を導入しました。

 遅まきながら、Windows 11 を導入しました。

 現在使っている Windows 10 のサポート終了日が今秋の10月24日に迫っています。終了日が過ぎても使うことはできますが、 Microsoft 社からのソフトウエア更新やセキュリティ修正プログラムの提供がされなくなり、セキュリティ・リスクが増大してしまいます。

 現状の EPSON Endeavor ( CPU:Intel Core i5-4440 ) の  Windows 10を Windows 11にアップデートすることも考えましたが、更新要件に1GHz以上で2コア以上の64ビット互換プロセッサIntel 8世代 Core i シリーズ以降というのがあってこれに抵触して、アップデート不可!!とありました。
 たしかに Core i5-4440 は2014年に発売された第4世代のCPUで、11年も昔のものです、Intel もより新しい CPU を売りたいのは理解できますが、、、、

 右写真は先代のパソコンを導入した時のブログ記事(新しいパソコン(EPSON Endeavor AT992E Core i5 4440)の立ち上げ)のもので、その日付が2019年7月14日となっています。
 もう6年間も特に問題も起こさず、ほぼ毎日私と付き合ってきた、いわば戦友のような存在です。ここいらで本体も更新するのがよいのでは、、、、と考えました。

 もともとパソコンに関しては、当初は自分で組み立てていましたが、ある時期から企業などで使っていたリース落ちを使うようになりました。

 利点は、何よりも安価なことで、OSはその時点で最新のものが搭載され、場合によっては Office までもインストールされています。
 問題があるとすれば HDD でしょうが、マザーボードも含めこれまでにトラブルはは皆無でした。リース落ちは3~5年落ちですが、製品の質がいかに高いかを実践して体感してきました。購入後、手を入れたのは HDD の高容量化、SSDによる高速化ですがこれらは楽しみながら自分で対応してきました。

 今回も同様のものをネットで探しました、私の用途はメール、インターネット・サーフィンでOffice がインストールされていれば十分です。
 ちなみに現在のリース落ちのメインは  第8世代のCore i5 8500 のようですが、今回は第9世代の Core i5 9500 搭載のものを選びました。この CPU は2019年に発売されており、ちなみに最新のものは Core i5 14400 で第14世代に当たります。それらの性能比較を上表に示します。

 今回購入したのは、HP ProDesk 400G6 で冒頭写真に寸法を書き入れておきました。

OSはもちろん Windows 11、Office は2019 版がついていましたがシリアル・ナンバーなどはありません。
また今どきの常で、主記憶ドライブにはNVMe の SSD 256GB 、メモリは8GB(1/2スロット)、DVD R/Wが搭載されており過不足はありません。
 右写真は主記憶ドライブにはNVMe の SSD 256GB で私には初めてのご対面です。確かに小型、高速、安価ではありますが寿命が??とのうわさもあり今後を注視していきます。
 
 HP ProDesk 400G6 はもともと主記憶ドライブには 500GB 程度の HDD が使われていたのが、マザーボードに NVMe のソケットが予めあったことで、今回需要?(商品力アップ)に合わせてNVMe の SSD 256GB に載せ替えたものと推察します。ことのついでに D:data ドライブに 256GB の SSD を搭載しておきました。

 もうすでに数日経ちますが特に問題はなく軽快に動いています、Windows 11 も大きな違和感もなく普通に使えています。

 少し手を加えたのは、バックアップなどのための HDD をマザーボードに直接接続するために(少しでもスピードが欲しい、USB とちがってプラグ&プレイができないので着脱はコンピュータの電源を落として、、、、)小物を作りました。(左写真)

 あと、システムのクローン作製のためUSB・NVMe SSD 変換ケーブルの入手が急務です。


 設備の更新?もあわせ Windows 11 のアップデートを行いました、もしかしてこれが最後のコンピュータになるかも、、、、

2025年5月19日月曜日

その手は桑名の蒸し蛤、、、

 左の絵は安藤広重の浮世絵、東海道五十三次「桑名宿」です。
 「桑名宿」とは、今年の4月初めにNHKの「ブラタモリ」 の伊勢路で放映されていた七里の渡しの終着点の湊の絵なのです。

 当時の東海道五十三次は尾張の国の熱田神宮(宮宿)から海上を桑名宿まで船で渡ることになっていました(もちろん陸路もありますが、、、)。

 参考にさせてもらった wiki 掲載の地図(右)によれば、海岸線も今よりずっと内陸寄りだったので、宮宿から桑名宿はほぼ直線で結ぶことが出来、いわば見通しのきいた対岸の場所であったようです。

 前述したように、桑名はかつて徳川幕府にとって交通、さらには西国に対する重要防御地であったことは理解できますが、今日においては何となく影が薄い存在のようです。

 今回の本題は、番組の中でタモリさんがおいしそうに食べていた、焼き蛤を是非味わってみたい!!!ということなのです。

 左写真はかつての「七里の渡し」の終着点の現在の様子です。この写真は冒頭の浮世絵と同様のアングルで撮影してありますので何となくイメージが重なります。
 ただし前方の矢倉「蟠龍櫓は近年に再建されたものだそうです。




 右写真は「七里の渡跡」にある伊勢の国一の鳥居です。
 この鳥居は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮ごとに、伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えているものだそうです。

 左の観光案内図で現在地と大きく書かれているのが
「七里の渡跡」です。

 ここから赤い線に沿って旧東海道が南下していきます。
 約20㎞南の四日市市日永の追分で旧東海道と旧伊勢街道が分岐しますがこのことからも往時は随分賑わったことが推察されます。

 図の中央部に「歌行燈」とありますがこれがお目当ての焼き蛤のお店です。開店が11時ということで約1時間前に着きましたが、幸い受付票が用意してありましたので、一番最初に記名し、開店までの約一時間、あたりを散策することにしました。

 となれば桑名城ですが、残念ながら今は存在せず、跡地が九華公園となっています。(右図)
 中央部の赤丸が天守閣跡です。水色は堀で約60パーセントの多くを占めています。



 前述したようにこの地が要衝の地であることから関ケ原の合戦ののち伊勢の国桑名に封ぜられ桑名城の築城、城下町の整備を行ったのは本多忠勝です。

 公園内に銅像がありますが、巨大な鹿の角の脇立て付きの兜姿は過日のNHK大河ドラマを思い出させます。












 約450本あるサクラは終わったものの今はツツジがきれいです。花菖蒲の数も約8,000株と著名な名所となっているそうで、これらの彩から「九華」の名がつけられたのでしょう。

 右写真では読みにくいですが、「三重県指定史跡桑名城址」とあります、まさに兵どもの夢のあと、、、











 左写真は九華公園内の吉之堀と橋上の8角形の屋根を持つ休憩所です、赤い橋が周りの緑の中できれいです。

 頃合いを見計らって「歌行燈」に戻ってきました、店の周りには約10人ほどが開店を待っていました。
 店の正面はそれほど大きくありませんでしたが、奥行きが結構あり、かなりのお客さんを収容できそうです。

 この店の格子に張り付けてあった青い小さなプレート(右下に拡大)には店前の道路が旧東海道であると表示してありました。

 この店は泉鏡花との関連があるそうです、泉鏡花は明治43年(1910)37歳の時に桑名を舞台にした「歌行燈」を発表しました。
 この中に「志満や」が登場しますが、この「志満や」が現在の「歌行燈」ということです。ちなみにこの店の創業は明治10年とか、、、
 上写真の右上の屋号を書いた行燈に、横にしゃれた文字で「歌行燈」、正面に少し小さな文字で「志満や」と記してあるのがわかります。

 お待たせしました~、開店時間になったようです。
 
 








 元々この店はうどん・そばの店ですが、お目当ての焼き蛤をセットにした、大焼蛤御膳をオーダーしました。高級天ぷらうどんランチに焼蛤(3個)をつけたようなものです。まずは前菜と鍋(蛤入り)が出てきて固形燃料にさっそく火がつけられます。

 「小さな穴から蒸気が沢山出て、中でカチンと音がしたら蓋を取って、、、」とのご教授、待つことしばしシュー、カチンでさあ御対面(左写真)です。
 おー、直径数センチもある蛤はまさに大蛤!!
 味も食感も、、、最高、、、でした。ただこれって焼き蛤ではなく蒸し蛤?! 幼い時に食べた焼き蛤は炭火直焼きだった、、、


 ついで本体?の高級天ぷらうどんランチが出てきました。
 流石老舗の味でおいしくいただきました、右側の器は上が茶わん蒸し、下がご飯です。



 やはり気になって調べてみました。
 葛飾北斎「東海道絵」より 「桑名」が左の絵です、蛤を松ぼっくりで焼いていますが、他の絵も同様なやり方で、蒸し焼きをしているものはありませんでした。

 蛤料理としては最高でしたが、焼蛤と称しているのが気になりました。

 焼蛤目当ての桑名行きでしたが、桑名について多くを学べたことも何よりでした。
 そこで再度 「その手は桑名の蒸し蛤、、、」

2025年4月30日水曜日

9R-59D の MOD その3(IF_ProductDET そして完成)

 前回、前々回に引き続き今回は、その3、最終回です。
 今回は上図の IFアンプ部、プロダクト検波部、安定化電源などについて説明していきます。

 今プロジェクトの目玉は、その1で述べたように、中間周波(IF)トランスに松下電産製の
2IF-N1 の採用です。松下電産とは松下電器産業のことで、そののちのパナソニックのことです。海外、特に米国への輸出が増大していく中で、当時採用していたナショナルのブランド名は、すでに現地米国で流通していた有名な他企業のブランドでしたので、トラブルを避けるために急遽変更したものだと思われます。

 思い返せば、この商品が登場した1961には松下電産は周波数直線型のバリコンなども販売しており、それこそ垂涎の的でありました。
 それらの部品を使用した、通信型受信機 CRV-1 の公表されている回路図を転載します。


 IF回路はこの回路図を参考に組み立てましたが、特に発振などのトラブルはありませんでした。ここで総合選択度 2.8kHz (-3dB) の秘密?を見たくなって IFT を分解してみたのが左写真です。

 一見して特段変わったところはありません、多少二つのコイルの間隔が広いようには、、、気のせいかも。

 またそれぞれのコイルにはタップが出してあり、さらに3個あるIFT のうち検波用(再終段)には Q5'er 用の巻線も備えてあります。

 この IFT は元々の 9R-59D のものより大きいので、 9R-59D のシャシー上の IF 基板スペースには収まらず、右写真のように、再終段の検波用 IFT は右方向のプロダクト検波+低周波出力の基板に侵入して設置しました。

 次いでプロダクト検波ですが、「アマチュア無線用ではなく、ジェネラルカバレッジとして MOD するとは言っても折角狭帯域の IFT を採用したわけだし、、、、 で、最小限にとどめる策を考えました。

 オリジナルは、プロダクト検波に 6BE6 を用い、BFO に 1/2 6AQ8 そして余った? 
1/2 6AQ8 で低周波増幅、最後に 6AQ5 低周波出力となっています。

 元回路では 6BE6 を使っていますので、この際、自励発振式で行けないか?とネットで探した結果、ありました!!!  同じようなことを考えている人がいたようで、
「 https://www.valveradio.net/radio/product-ssb-detector-in-9r-59ds.html 」
 まさにほしかった資料で、プリント基板の変更まで写真付きで掲載されていました。

  回路図を掲載しておきます、細部の定数までの検討はしていませんが無事作動しました。BFO コイルもそのまま使用できましたが、極性には要注意です。

 6BE6 の自励発振式は周波数の引き込みがあるとかで、あまり使われていないようですが今回は良しとしましょう。
 
 右上写真は完成したプロダクト検波および低周波出力基板です。

 左から 2IF-N1 の検波段 IFT トランス、次いで 「AM 検波、AGC 検波」部、 6BE6 プロダクト検波部、BFO コイルです。
 いちばん右に低周波出力部ですが、これは半導体 IC のLM386G を用いた定番回路です。
何種類かの増幅度を選択できますので簡易で使用するには便利です。
 この結果、使用真空管は 6BE6 のみになり、6AQ8、6AQ5の2本が節約でき、消費電力も減りました。

 最後に、局部発振の 6BE6 とプロダクト検波 6BE6 とに供給する 115V B+ 電源の定電圧化を図りました。
 左に要所の回路図を示しますが、LM317 はフロート状態にありますので、入出力差が 30V を超えないように注意すればうまく働きますし、定電圧放電管を用いるよりははるかに廉価です。
 ただし高電圧の取り扱いなので安全には十分注意してください。

 S メーターは FET を使った簡易版を仮に取り付けてありますが、S メーターは奥が深くまだまだ検討が必要です。

 以上、何とか当初の目標を達成することが出来ました。今のところ低 HF 帯が活発なのでしばらくは楽しめそうです。
 肝心の IFT (2IF-N1) についてはSWLについては少しすっきりした感じがしますが、7M帯のアマチュア無線では無いよりまし?くらいでしょうか、でも1960年代を思い出しながらのワッチはまた格別なものがあります。