ひとつ前の記事にあるように大甥の結婚式のために大阪に出かけましたが、せっかくの機会ということで花にはまだ早いですが、京都を2日かけて散策する事にしました。
第1日目の(その1)は地図にあるホテル(河原町丸太町)から東に向かい、哲学の道、南禅寺、インクラインを経て祇園の「貴久政」で昼食を摂るまでの午前中の散策を紹介します。
川辺に植わっている柳の、萌え出でたばかりの芽が朝陽にまぶしいばかりに輝いています。
丸太町通りを東に少し行くと、交差点の北東角に「聖護院八つ橋総本店」をみつけました。(写真はありません、地図上に記載)
さらに行くと「岡崎神社」がありました。この道の南側には「岡崎公園」がありますが、かつてこの平安京の東に位置するこの一帯は、白河と呼ばれ、平安時代末期には、院政が執り行われた白河殿のほか、多くの寺院が造営され、栄華をきわめたとか、、、、
興味を持って立ち寄ってみました。
ここは安産にご利益があるようで、その氏神様の使いである「ウサギ」の彫刻がたくさんありました。手水舎(ちょうずや)におかれた黒い石で出来たウサギは柄杓で頭から水をかけたり、撫でさすったりするようになっており、人気だとか、、、、
たしかに狛犬の前にウサギが一対ありますし、下がっている提灯にもウサギの絵が、、、、(右)
さらに白川通との交差点を直進し、霊鑑寺へ向かいました。
ここは、臨済宗南禅寺派の門跡尼寺で、谷御所、鹿ケ谷比丘尼御所とも呼ばれています。庭園や椿で有名で、通常非公開ですが、春(椿)と秋(もみじ)に特別拝観が行われますので、それをお目当てでやってきたわけです。
ところが門前に到着しても門が閉まっています!!!!
案内看板を良く見ると特別拝観時間が午前10時からとなっているではありませんか。
張り切ってやってきたのに残念でした。お寺というものはいつも開かれているものと思っていましたので、、、、
「哲学の道」をさかのぼり、南禅寺方向を目指します。
「哲学の道」とは、哲学者である西田幾多郎が琵琶湖疏水に沿ったこの道を思索にふけりながら散策しながらということから名づけられたとか、、、、
この疎水の両側には櫻の木が多く植えられており、そのシーズンには見事な景色になる事と思われました。
下の写真は、近くの民家の玄関口へのアプローチです。石の板と瓦をうまく使っており、またそれに苔がついた様子はなんとも言われぬ良い風情です。
途中、ネコがたくさん集まっているところに遭遇しました。先に述べたようにこの日は大変寒かったので、偶然この陽だまりのような場所に集まったのでしょうか?それとも誰かが定期的にえさをやっているのでしょうか?京都に来てネコをみたのはここだけで、それも10匹以上いました。さっそく岩合光昭さんになったつもりでパチリ、、、、
またしばらく行くと、あの和菓子で有名な 叶 匠壽庵 の「京都茶室棟」をみつけました。(下写真)
なかなか風情のある建物で茶房もあるようです。ひと休み、、、、と思ったのですが、ここも10時から、ということで断念!ランチタイムには「若王子春秋富弁当」なる、おいしそうなものも、、、、
このあたりの熊野若王子神社の近くで、可愛い女の子を連れて散歩中の方から「新島襄・八重さんの墓がこの先の山の上にあるよ」と教えられましたが、さすがに山の上と聞いてしり込みしてしまいました。
表示板を見つけましたが、午後には新島旧邸へ行くつもりなので、まあいいか、、、、
さらに歩く事約5分ほどで、南禅寺の法堂の裏手を抜け、本坊の前をさらに行くと南禅寺水路閣に到ります。本坊の左手には唐破風の大玄関がありますが、この大玄関は特別な行事の時にのみ使用されるとか、、、、(下写真)
疏水とは灌漑・給水・発電などのために土地を切り開いてつくった水路のことを言いますが、農林水産省が選定した「日本疏水百選」があるほど日本の各地に散見されるようです。
我々が辿りついた「南禅寺水路閣」は琵琶湖から京都に水を引いた「琵琶湖疏水」を通す水道橋で、そのデザインは南フランスのニームで見た、古代ローマのポン・デュ・ガール(Pont du Gard)を思い出させました。
この「南禅寺水路閣」はテレビや映画などで時たま見かけるのですが、なかなか雰囲気があり、今でこそ京都に欠かせない名所になっていますが、建設された明治初期には場違いだということで猛反対があったとか、、、、
「この建造物の上には本当に水が流れているのだろうか?」というのは、下から見上げたとき誰しもが抱く疑問ですが、、、、確かに流れていました!!そしてこの疏水は「哲学の道」に通じているのです。(左写真)
「この建造物の上には本当に水が流れているのだろうか?」というのは、下から見上げたとき誰しもが抱く疑問ですが、、、、確かに流れていました!!そしてこの疏水は「哲学の道」に通じているのです。(左写真)
ここで面白い発見をしました。京都で鴨川は北から南に流れていますが、疏水は南から北へ流れているのです!!??
そこでさらに上流へ(南へ)行ってみることにしました。狭い道幅の上に、左はとうとうと流れる疏水、右は2~30mはあろうかという南禅寺の絶壁。しかもどちらにもフェンスはありません、なんとなく竦みそうになる足を励まして前進です。
そこでさらに上流へ(南へ)行ってみることにしました。狭い道幅の上に、左はとうとうと流れる疏水、右は2~30mはあろうかという南禅寺の絶壁。しかもどちらにもフェンスはありません、なんとなく竦みそうになる足を励まして前進です。
しばらく歩いてようやく取水口につきました。(左写真)
ここは琵琶湖からの水を一時蓄える貯水池のようです。(右写真)
1890年にこの琵琶湖疏水が完成した結果、京都の水不足は解消され、日本初の水力発電所ができ、東京よりも先に街灯にアーク灯が点り、さらに1895年には日本初の電車である京都市電が開通することとなったのです。
左写真はその蹴上発電所に水を落とす送水管で、この上を横切って先に行きます。櫻の木も多く、もうすぐ綺麗な花が見られることでしょう。
貯水池からは豊かにオーバーフローした水が直接鴨川に行くようです。(右)
そして「インクライン」の降り口に到着です。
明治23年(1890)に完成した「インクライン」は傾斜鉄道とも呼ばれ、運河や山地など、傾斜となった路面で貨物を運搬するためのレールや機械のことです。
この京都のインクラインも、蹴上発電所の電力を利用し、舟を運ぶための鉄道です。 古い資料写真を引用させていただきましたが、写真の中央にはレールとその上に舟を乗せるための台車が見えます。インクラインの全長は587m、高さ35mだそうです。
この台車が今も保存されています。(右写真)
インクラインの斜面を上から見下ろしたところです。きわめて幅の広い線路が左右2本ありますが、線路の中央にあるはずの、台車を引き上げたケーブル類は今は見られません。
この両側の櫻並木も季節には名所だとか、、、、
また、ここから前方の山腹に「五山送り火(ござんのおくりび)」のひとつである「舟形万灯籠」を遠望できました。
縦130m、横200mもあるそうです。
このインクラインをゆっくりと歩いて下り、南禅寺前の交差点に出て、岡崎公園の南側を疏水の堀割りに沿って西に向かいました。
途中南西に下るちいさな川(白川)をみつけ、これに沿って昼食を摂るべく祇園を目指しました。
町なかの流れにしては綺麗で、周りの景色も表通りとは違った風情でなかなか趣がありました。
鳥もいく種類か見かけましたが、この「小鷺」?も間近で観ることの出来た一羽です。
川の両側にある柳の木の芽も春の暖かい日差しに誘われてまさにほころびかけています。
また、しばらく歩くと知恩院の西側にある外門のひとつ古門をみつけました。門の前には白川にかかる石造りの橋がありました。
でも、風景が以前とは少しずつ変わって、古いものが失われていくように感じるのは歳のせい??
辰巳神社(辰巳大明神)にやってきました。もともとは京の辰巳の方角を守る神社であったそうですが、祇園の人々の信仰が厚く、特に芸妓さんや舞妓さんが芸事の上達を祈って訪れるようになったことで知られています。
京都の町家は美しいですが、3軒並んでいる町並みを探すのはいまでは困難だだそうです。
犬矢来をみつけました。まさに京都の、それも祇園をイメージするにふさわしい町家の外観を飾る重要なアクセントです。
その名のとうり、犬のそそうを防止するためのものではなく、家の裾を泥から保護する目的の構造物なのでしょう。
ようやくにして昼食場所にたどりつきました。予約時間より少しはやいですが、暖簾が出ているので多分大丈夫でしょう。
他のお客さんも居らず、若くて威勢のいい板さんが3人がかり(写真は二人しか、、、、)で対応してくれたので、家人は大満足、、、、
それにも増して料理のおいしかった事、わけてもできたての「だし巻き卵」は秀逸でした。
「極めて柔らかく、持ち上げると出汁が滴り落ちる。」だし巻き卵は熟練した料理人の証とか、、、、
しばし京都の味を楽しんで午後に備えました。
しばし京都の味を楽しんで午後に備えました。
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