春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく山際ぎは、、、、と「枕草子」第一段にある光景がまさにこれです。季節は厳密には違いこそすれ、東山から陽が昇る前の光景です。
昨日の強行軍で少々バテ気味ですが家人はどこ吹く風、、、、というのも今日はホテルをチェックアウト後、お気に入りの大原地区へでかけ、そこで一日散策しようという計画なのです。
かつては大原へ都から出かけるのもたいへんだったでしょうが、今では鯖街道(国道367号線)を30分ほど北上すれば到着します。
到着後駐車場を探しましたが、幸いシーズンオフなのでどこもガラガラでしたが、駐車料金が安いところは「3時間以内」などと条件がついているので要注意です。
右地図で中央下の駐車場から出発し、ピンクの線を右上に進み、三千院に、そして周辺のお寺を散策・拝観してから街道まで左方向に下り、街道を横切った後に左上方向の寂光院へ登って行きます。そして帰りは周遊路になるように駐車場を目指します。
これは三千院から寂光院に向かう道端でみつけた歌碑です。 ~ 京都 大原 三千院 恋に疲れた 女がひとり ~ かつて 永六輔・いずみたく が デュークエイセス とタイアップして創ったご当地ソングのはしりである「にほんのうた(53曲)」の京都編です。
三千院門跡と寺格を表示しています。
ありがたいことに、ここの開寺は8:30からということで無事に入れました。門は見上げるように石段の上にあり、周りの石垣と合わせてみると、まるでお城のようないかめしさが感ぜられます。
もともと三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に起源をもち、1871年(明治4年)にここ大原の地に移されたとか。
それ以前は「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」などと称されていたということで、右上写真の石柱には「梶井 三千院門跡」とあります。
宸殿から三千院の古式庭園、有清園から往生極楽院を垣間見たところです。ちなみに三千院にはもうひとつの古式庭園、聚碧園(しゅうへきえん)があります。
宸殿は門跡寺院特有のもので歴代門主の御尊牌を祀るところで、御所と同じように宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するそうです。
境内にある往生極楽院は平安時代末期の12世紀からこの大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきたとき、その境内に取り込まれたもので、三千院と往生極楽院は元来は別々の寺院でした。
往生極楽院を過ぎてしばらく行くと左手の緑美しい苔のなかに何体かの「わらべ地蔵」がおわします。その起源を調べたのですが、仔細は不明でした。
左写真は、延命水の筧(かけい)越しに往生極楽院を見たものです。奇麗な青空が泉水に映っています。
境内のところどころに植えてある北山杉ですが、ものの見事に空に向かって真っ直ぐでうつくしいです。
境内併設の宝物殿に行きました。最新の調査で復元された先の往生極楽院の天井画がありました。撮影は出来ませんでしたのでポスターから、、、、
本来、850年前はこんなに鮮やかな天上の青として描かれていたそうです。(現在は護摩を炊く為、真っ黒に煤けて、、、、)
三千院を出て、少し北に向かうと左側に実光院があり、(巻頭の地図参照)ここに茶席があるとのことで立ち寄ってみました。
お寺は近くにある勝林院の分院ということで、門を入ると珍しく階段を下ったところにある、瀟洒な建物でした。
ふと部屋の隅を見ると石を並べた木琴いや石琴のようなものが置いてあります。
説明書きをよむと明治時代の声明(しょうみょう)の大家である住職さん(深達僧正)が音律を調べるために愛用したサヌカイといわれる美しい音が出る石盤だそうです。
庭に出て、このお寺での有名な、「不断桜」を鑑賞しました。この櫻は秋から次の年の春まで咲き続ける珍しい櫻だそうです。
さらに庭内を散策すると、足元にも可愛い花がありました。「ニリンソウ」?と「福寿草」です。
実光院をでて、緩やかな坂を下りながら振り返ったところです。
右側が実光院、左手奥が三千院です。これからこの先正面に勝林院の大きな伽藍を見ながら左折して宝泉院に向かいます。
宝泉院の門をくぐると正面にきれいに刈り込まれた大きな五葉松がシンボリックに目に入ってきました。右手に廻って寺院の入り口に向かいます。
庭園は(盤桓園 立ち去りがたいという意味)といい、寺院の庭園には珍しく、いろいろな形の造形物が所狭しと並んでいました。
ついで、ここでもお茶を喫する機会がありました。(拝観券と呈茶券がセットになっていました。)
お茶はともかく、お茶菓子「ひととき」がとりわけおいしく、まさに至福の「ひととき」を味わいました。聴くところによると宝泉院が特別にあつらえているとか、、、、
そして喫茶後、床の間の前にある脇息つきの分厚い朱の座布団に座って庭を見るという趣向に乗ってみました。
客殿の柱と柱を額縁に見たてて「額縁庭園」とも呼ばれているそうですが、さすが樹齢700年の五葉松の幹は圧倒的な存在感を感じさせます。
さて、左京道、右寂光院の道標をみて、いよいよ今回最後の目的地「寂光院」にむかいます。
もともと寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であったわけですが、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残った平清盛の娘、建礼門院徳子(高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母)は信西入道の娘で侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生をおくりました。
平家物語の大原御幸で、「甍 やぶれては霧不断の香をたき、枢おちては月常住の燈をかがやくとも、、、、」 とあるように 後白河法皇もさみしいところだと述懐されていますが、800年後の今日でも寂光院への道は三千院へのそれに比較して人通りも少なく、廃屋化した店々も多く裏悲しいものがあります。
これは平成12年(2000年)に起きた本堂の火災焼損(2005年再建)によることのみではないように思います。
途中の道端に咲いていたマンサクの黄色い花も侘しげです。
ようやく寂光院の入り口に到着しましたが、小さな川に沿ったこの谷あいの場所に山奥から吹き降ろしてくる風のなんと冷たく厳しいこと、、、、思わず縮み上ってしまいました。
門をくぐると正面に再建なった寂光院本堂がほっそりとつつましやかにみえます。
本堂前の「汀の池」のほとりにこれも平家物語に登場した、樹齢千年といわれる名木、高さ約18mの御神木「千年の姫小松」(五葉松)が、五年前の本堂火災焼損の影響の影響で枯死したままになっていますが、この御神木は午前中に観た宝泉院の五葉松(樹齢700年)をはるかにしのぐものであった事が想像されます。
ということで後は帰路につきました。
春はまだ寒く、花にははやかったですが、幸い天候と体力に恵まれて無事予定をこなす事が出来ました。久しぶりの京都ですが、また来たいものです。
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