2013年7月14日日曜日

遥か南米へ4万キロの旅 その7 (天空の都市マチュピチュ)

 さていよいよ今日は天空の都市、マチュピチュ遺跡へ登ります。
 昨日宿泊した麓のマチュピチュ村は標高2000m、ここからマチュピチュ遺跡まではシャトルバス?で「日光のいろは坂」も顔負けの九十九折れを一気に400m登ります。

 旅の疲れもあって昨夜は良く眠れたとはいえ早朝に目覚めました。

家人の声で窓の外を見ると、谷あいのまだうっすらと霧が残る山肌の空高くきれいな月が見えていました。今日も晴天です。


google map










 ここでマチュピチュ遺跡周辺の地形をレビューしてみたいと思います。左の google map に見られるように、マチュピチュ遺跡はワイナピチュ(2720m)と手前のマチュピチュ山(3050m)を結ぶ尾根の平坦部分にあります。そして三方をウルバンバ川が流れる深い谷に囲まれているのです。
ネットの写真を掲載

 谷のふかさは400mもあり、まさに天然の要害を呈しています。ちなみに写真中央に白く、くねくねと見えているのは麓からのバス道です。(拡大してみてください)

 右ワイナピチュ側からの写真ですが、マチュピチュ遺跡(中央の緑色が薄くなったところ)がマチュピチュ山のかなり下のほうに見えています。左斜面には麓からのバス道も見えます。

 マチュピチュ遺跡を「空中都市」「空中の楼閣」などといった言葉で飾られますが、それは冒頭に掲げた私の撮影した写真のアングルからくるイメージでうまれたものだと思います。
 その下の google map でもわかるようにマチュピチュ遺跡は「まわりの4000m級の山々に囲まれた揺り籠」とでも言ったほうが良いかも、、、、当然水の心配はありません。



 右に示したのがマチュピチュ遺跡の案内図です。拡大すればいいのですが、拡大したものの半分ずつを左に挙げておきます。
 私たちは左図中の左下にある「遺跡入り口」から入って、左上にある「見張り小屋」めざして登っていきました。


 ついで赤い線の矢印に沿って遺跡の図の上を右に進み、右端の「聖なる石」で折り返し、遺跡を一巡して還ってきます。

 
 「遺跡入り口」を入ってすこし行って左折しますが、見上げると「見張り小屋」がありました。







 小屋といっても石を積み上げたちいさな建物ですが、ここに上がるとマチュピチュ遺跡のほぼ全容が一望できます。


 大勢の見学者一同がおもわず「おーー」と声を上げる感動の瞬間の景色です。まさにこれまで、いろいろなメディアでみたそのものが眼下にあるのです、、、、



 前方に見えるシンボリックな山ははワイナ・ピチュ (若い峰の意)で、山頂には神官の住居跡らしい遺跡があり、山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する月の神殿が存在するとのことです。ここも行ってみたい所でしたが、一日400人限定(午前・午後各200人)というのと、体力との相談で断念しました。
 ちなみにマチュピチュとは老峰( old peak )の意味だそうです。



 さらに少し登ると「儀式用の石と墓地」がありました。遠くには段々畑がみえています。

 右の写真はこれから行く、地図の上側です。左下の古い石門を通り、「石切り場「を左に見て、「主神殿」、「インティワタナ」、「聖なる石」へと進みます。前方の峰はワイナピチュではありません。

 途中、左側(西側)にもたくさんの段々畑が造成してあります。ほとんど垂直に近く切り立ったこの場所にシッカリとした石垣で作ってありますが、その技術と労力には驚かされます。


 ここには「コカ」「ジャガイモ」「トウモロコシ」のような有用な植物が栽培されたとか、、、、

 ふりかえると降りてきた道の上方に「見張り小屋」そしてその奥にマチュピチュ山が仰ぎ見られます。左側(東側)にもこの遺跡で一番大きな段々畑群が見えます。

 「主神殿」に行く途中、右側に「薬草園ではなかったか?」という場所を通りました。いろいろな種類の植物が植えてあり、わずかな日陰で涼をとっている人もいます。幸いこのところ好天気続きで低緯度、高地のここでは日差しは強いですが、日陰は低湿度のおかげで涼しいです。
先方にワイナピチュが見えています。
 道端に加工途中の?石材がおいてありました。平坦面、エッジの加工など鉄器を持たなかったインカ文明ではどうやって加工したかは興味のあるところです。

 「主神殿」から、これから登ってゆく「インティワタナ」を見上げたところです。主神殿の壁がゆがんでいるのはかつての大地震によるものだそうです。

 右写真は神殿域にある、「三つの窓の神殿」です。

 インカ文明では3という数字は宗教上きわめて重要で、天上・地上・地下の3界を表わし、ちなみにそれぞれのシンボルは「コンドル」「ピューマ」「ヘビ」です。

 石積み、分けても神殿のそれは、きわめて精巧に加工されています。
 写真に写った私の手と比較してみるとよくわかりますが、石と石の隙間は一円玉でも入りません。

 こんな石を切り出したとされる「石切り場」が「インティワタナ」からふり返るとよくみえます。「見張り小屋」「マチュピチュ山」はもうおなじみで、左側の段々畑、その手前には「薬草園」がみえます。

 「インティワタナ」に登ってくる途中、右側に「メイン広場」が美しく草緑色に輝いていました。

 一方の左側は、思わず後ずさりしそうな400mの絶壁です。こんな段々畑は耕すのも命がけ、、、、
 観光客の少年が小用に行って(遺跡内にはトイレはない)、墜落し、救助に四日間かかった(命に別状はなかった)というのもなるほど、、、、

 「インティワタナ」は太陽つなぐものという意味だそうです。
 ここがマチュピチュ遺跡の中で最も高い場所にあることも考えて、 太陽信仰と関係があることは間違いないといわれています。

 中央の天に向かって突き出した部分の台座周辺はひし形、その角は東西南北を指していることから、インティワタナを 日時計ではないかという説もあるそうです。

 「インティワタナ」を下ってしばらくするとそろそろ「聖なる石」ですが、そのまえに少し大きな庭園のような畑が見えてきました。

 現地ガイドさんによると農業試験場?のようなものだとか、、、、

 これが「聖なる石」です。(左写真)
 でも何に使われたかはよくわかっていないとのこと、、、、言い忘れましたが、インカ文明は文字を持たない文明だったのです。

 近くにはマイナピチュに上る登山道入り口がありました。
 もうお昼に近くなっていますので午前中の200人は出発してしまっているでしょうから閑散としています、次は午後1時から、、、、

 居住区域にやってきました。さすがに石積みは神殿などに比べると大雑把です。でも発見された当時のものはかなり下の部分で、それより上はその後復元したものだとか、、、、
 遠くに「見張り小屋」が小さく見えています。

 屋根は草や木で葺いたのでしょう。今はその面影もなく、ただ紺碧の空が、、、、(右)


 市街地(
とはいってもここの人口は最大で約750人)を抜けてあとは「太陽の神殿」経由で段々畑の中を通り昼食のため一旦外に出ます。正面にはもうお馴染みの「見張り小屋」が、、、、

 右後ろを振り返るとインティワタナ」のある丘が一段と高く、気のせいか、神々しく見えています。

 左上の写真の道を下って行くと「コンドルの神殿」にでます。左写真の手前にあるのが、地面にある、コンドルを模したレリーフの頭です。

 ここは神聖な儀式がおこなわれた場所ではないかと言われていますがよくわかっていません。

 そして次なる場所が、「太陽の神殿」です。やはり、神聖・高貴な場所のつくりは他とまったく違います。単に石を組むだけではなく、このゆったりした曲面を作り上げるにはどれほどの時間と労力を費やした事でしょう。まさに驚嘆に値します。




 この「太陽の神殿」の下にある、陵墓といわれるところです。ここには王のミイラが安置されていたといわれています。


 駆け足ではありましたが、ようやくマチュピチュ遺跡の見学も終わり、あとは段々畑を横切って、入場門から外にでて昼食をとります。おや?段々畑の中段に「リャマの親子連れがいます。(右・わかりますか?)









 ここアンデスには「リャマ」「アルパカ」そして「ビクーニャ」がいます。
 マチュピチュ遺跡にいたのは「リャマ」でした。この3種類の見分け方は、「ビクーニャ」はもっと小型で、「リャマ」「アルパカ」の区別は、少し大型で耳が長いのが「リャマ」だと思います。

 どんな生き物も赤ちゃんはかわいいです。


 あと午後は自由時間になっていますのでどうするか食事を摂りながら考えましょう。

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