2013年7月24日水曜日

遥か南米へ4万キロの旅 その8 (秘境 インカ橋)

 午前中、マチュピチュ遺跡を一巡し、一旦ゲートを出て昼食です。
 午後は自由時間になっていて、
  1.もう一度遺跡をじっくりと見る
  2.「太陽の門」へのトレッキング
  3.「インカ橋」へのミニトレッキング
  4.マチュピチュ村まで降りる
と、いくつかの選択肢がありますが、何れにしても今夜はこちらでもう一泊するので、気分的にはゆとりがあります。

 いろいろ考えて、3.の「インカ橋」へのミニトレッキングを選択しました。

 








 右上写真は左図の左下にある「マチュピチュ・サンクチャリ・ロッジ」です。聞くところによるとここはかなり人気のホテルで、宿泊はママならないとか、、、、で、私たちは昼食のみでガマンです。

 例によってバイキングでしたが、種類も質も満足できるものでした。

 食堂の壁に、1911年にマチュピチュ遺跡を発見したとされる米人 ハイラム・ビンガム3世 Hiram Bingham III )、当時の写真が飾ってありました。(左)
 今でこそきれいに整備・一部復元されていますが、彼がこれを見たときの驚きと感慨はいかほどであったでしょうか、、、、 

 右は先回登場した「太陽の神殿」です。半ば木や草に覆われてまさに遺跡発見!といった風情です。ちなみにハイラム・ビンガムは映画で有名なインディアナ・ジョーンズのモデルとも言われていますが、こうしてみるとまさにピッタリです。



 サンクチャリ・ロッジのちかくにフクシアに似た赤い花が咲いていました。

 ロッジのすぐ下からはマチュピチュ村に下るシャトルバスの乗り場があり、小型のバス(マイクロバスよりは少し大きい)が次々と休むまもなく出発しています。
 一方、村から登ってくるバスにはほとんどお客さんは乗っていません。

 私たちは再度、遺跡に入ります。見学を終えた人たちが次々に出てきますが、午後の今、右側の入場口は人影もまばらです。

 このゲートの左のほうに、ここが世界遺産であることを示すプレートの一部が見えています。(左写真の左上)

 冒頭の図に示したように、私たちは左下のマチュピチュ・サンクチャリ・ロッジを出発し、遺跡入り口とあるゲートを再び通り、見張り小屋まで上がっていきました。
 そこからの景色は午前中とはまた趣が異なっています。すでに太陽は西側にありますので、陽は左側から射しています。(午前中は右)



 しばらく道を登っていくと、ちいさな小屋がありました。
 CONTROL PUENTE INKA とあります。ここから先に行くにはここで登録が必要です。ちなみに 
PUENTE INKAは「インカ橋」です。

 途中道端にベゴニアに似た花が咲いていました。季節は南半球で、初冬に相当するので花は少なく期待はしていませんでしたがそれでもいくつかは、、、、


 視界が開けたところで先方に目をやるとウルバンバ川が深く切れ込んだ谷あいに見えました。写真中央から右手奥に向かってマチュピチュ遺跡を囲むようにして遡っていきます。

  同様に中央には水力発電所の導水管もみえます。私たちのいるところは、川の左急斜面の中腹なのです。

 先方の崖にせり出した木々の中に黄色い花を見つけました。




 赤い花もあります。 


 右写真のような案内板を見つけました。
PUENTE INKA (インカ橋)と書いてUターンのしるしです。
 インカ橋まで行って帰ってくる、ということなのでしょう。


 右写真は、所謂インカ道です。こうしてみると何でもない道に見えますが、左の花の写真の上にある、谷の斜面にあるのです。
 そして道幅こそやっと人がすれ違う事が出来るくらいですが、そのつくりは堅牢そのもので、インカ文明お得意の石造り技術が遺憾なく発揮されているように見えます。

  かつてインカ時代に、エクアドルから、チリーまで4000kmに渡ってインカ道幹線道路が南北に二本あり、一つは海岸沿いに、もう一つは、アンデス山中を縦断していたということで、私たちの眼前の道はアンデス山中の幹線に接続する支線のようです。

 木の上にもきれいな葉をした植物が、、、、

 トレッキングの最中に、何度となく鳥のさえずりを聞きましたが、残念ながらその姿はなかなか観ることが出来ませんでした。 でも一度だけシャッターチャンスが、、、、少し遠くに、でしたが、黄色い、かわいい小鳥を見つけました。(右写真)

 そうこうするうち、といっても急な坂道や、一歩踏み外せばウルバンバ川までまっ逆さまの道を、張ってある鉄のワイヤーを頼りにたどり着きました。実際の距離や時間はたいしたことはなかったのですが、そこそこ高山の、緊張の連続のトレッキングでかなり疲れました。
 左上写真の大きく削れたオーバーハングの下に「インカ橋」が見えています。


 近くに来ると詳細を見ることが出来ます。

 オーバーハングした絶壁の両端から、人がやっと通れる道を築き、中央で丸木を何本か渡しただけの橋で接続されています。

 たしかにこうしておけば仮に優勢な敵に攻撃されても、橋さえ落としてしまえばまさに鉄壁な守りとなる事でしょう。

 インカ道をさらに進むと「これ以上通行禁止」とある場所に出ました。
 さすがにこれから先は足場も悪く、目もくらみそうで、許可されても行くのはごめんです。

 過日、TVで「マチュピチュ遺跡」をとりあげた番組がありましたが、そのとき「インカ橋」についてもいろいろ解説していたのを思い出し、今、まさに目の前にそれがあるのは半ば信じられない思いです。

 帰路は当然のことながら順調にすすみました、足のふくらはぎの筋肉痛をのぞけば、、、、

 右は途中で見つけた(往路では気がつかず)測量用の三角点です。



 左写真はおそらくランの一種でしょう。

 さらにいくつかの花を目にしました。日本ではあまり目にしないものばかりで、名前などは不明ですが、でも私たちを十分慰めてくれました。









 「マチュピチュ遺跡」のゲートちかくに、この遺跡の発見者「ハイラム・ビンガム」の記念レリーフがありました。
 ここインカはスペイン人の侵略・略奪によって滅びた事は周知の事ですが、「マチュピチュ遺跡」の発見こそ「ペルー人が先だ!」との説も現地ではあるようです。
 でもインカの人たちがどこかで失笑しているかも、、、、

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