それこそ昨日西表島で由布島(ゆぶじま)に水牛車で渡った時間よりも速く到着してしまいます。
私たちは竹富東港に上陸し、重要伝統的建造物群保存地区を取り巻いて走る環状道路(右地図上でピンク色の道路)の南側を抜けてカイジ浜に向かいました。
途中の道路にある街路樹はデイゴでした。デイゴ(梯梧)はインドやマレー半島が原産で日本では沖縄県が北限とされているマメ科の落葉高木で、春から初夏にかけて赤い花が咲き「沖縄県の県花」とされています。
途中の道路にある街路樹はデイゴでした。デイゴ(梯梧)はインドやマレー半島が原産で日本では沖縄県が北限とされているマメ科の落葉高木で、春から初夏にかけて赤い花が咲き「沖縄県の県花」とされています。
デイゴが見事に咲くと、その年は台風の当たり年で、天災(干ばつ)に見舞われるという言い伝えがある一方、琉球大学の合格電報文面は“デイゴ咲く”だそうです。
バスの窓から見るデイゴはほとんど咲いていませんでしたが、まれに1、2輪みかけたので慌ててシャッターを切りました。写真右下は満開時の様子でネットからの引用です。
カイジ浜は、漢字では「皆治浜」と書きます。(右写真)
琉球時代、この島には八重山全体を統治していた役所と年貢の倉があり、この遠浅の浜は港として使われたと聞けば「皆治浜」の意味が理解できます。
またここは「星砂の浜」としても知られており、さっそく海岸に手のひらを押し当てて星砂採集です。
かつてはたくさん採れたようですが、今では探すのが難しいくらいで、写真の指の白丸のようにほんの少ししかありませんでした。隣のごく小さなビンはお土産にいただいたものですが、星砂の形がわかります。
かつてはたくさん採れたようですが、今では探すのが難しいくらいで、写真の指の白丸のようにほんの少ししかありませんでした。隣のごく小さなビンはお土産にいただいたものですが、星砂の形がわかります。
星砂の正体は原生生物である小さな有孔虫が死んだ後に残った丈夫な殻で、殻の形が星や太陽を思わせる幾何学的な形状であるために、生物学的な研究対象としてのみならず、鑑賞の対象としても広く愛好されているのです。
右写真はカイジ浜の右手(北)を見たものですが、天候に恵まれて空、海、白浜、木々がこれぞ「南海の島」といった風情を見せてくれています。
遠くに見えるのはコンドイ岬です。
遠くに見えるのはコンドイ岬です。
左写真は「蔵元」跡です。前述したようにこの地には役所があったのですが、「蔵元」は本来収納した年貢を収納する場所ですが、役所をも「蔵元」と呼ぶようになったということでここは役所跡なのです。
いまでは木々が茂り、わずかに珊瑚礁で出来た土台のみが当時の面影を残しています。
いまでは木々が茂り、わずかに珊瑚礁で出来た土台のみが当時の面影を残しています。
そしてカイジ浜からコンドイ岬を経てコンドイビーチ(幸本:地名)です。
ここは白浜とエメラルドグリーンの海が美しいので有名です。
この景色を約180°のパノラマにしてみました。写真が小さくて迫力がありませんが数枚の写真をコンピュータで合成したものです、クリックしてみてください。
次に訪れたのは、先ほど傍らを通り抜けた重要伝統的建造物群保存地区です。
この島の住人は400人弱と少なく、「路で現地の人と出会ったら運がいい」とはガイドさん(一人会いました)。
竹富島に新しく家を建てるときには伝統的な赤瓦の家に限るとされており、琉球石灰岩の塀と路に撒かれた白い珊瑚の砂が昔ながらの面影を伝えてくれています。
右写真は「なごみの塔」です。集落への連絡のために立てられたというこの塔は、島全体が平坦で最も高いのが家々の屋根とされる中で、6mの丘の上に立つ4.5mのこの塔は絶好の展望台なのですが、階段が狭くて急なため必死の思いで登頂しました。
塔の上から撮影したパノラマ写真です。
クリックして拡大してみてください。
これはドラゴンフルーツです。一本立ちではなく塀の上に乗りかかるように仕立ててあります。やがて月下美人のような花を満月の日に一夜だけ咲かせ、赤い実をつけるのでしょう。
季節はずれとはいえ、ここは南国です。
そこかしこに花が見られました。
集落の家々の多くには屋根の上にシーサーがおいてありました。
シーサーは、沖縄県などでみられる伝説の獣の像で、災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つといいます。
白い珊瑚の路をサクサクと音を立て、キョロキョロしながら歩いていたら、突然に現れた水牛車に驚かされました。
この島にも水牛車で観光をするオプションがあったのです。
でも水牛さんには海の中がよく似合っているように感じました。
ということで私たちは竹富東港に戻り、帰途に着きました。
帰路に乗船する高速船がやってきました、「ちゅらさん2」と書いてあります、どこかで聞いたような、、、、
あっという間にもう石垣港に到着です。
船窓から誰かが石垣島を撮影しています。
到着後、約1時間ほど市内見物(といっても港周辺ですが)とお買い物です。
730という名前の交差点に写真のようなモニュメントがありました。
これは戦後アメリカ領であったこの地が右側通行であったのを、1972年の沖縄返還後の1978年7月30日午前6時をもって一斉に左側通行へと切り替えたことの記念碑なのです。
ちなみにこの730交差点は日本の国道の最南端、かつ最西端です。そしてこの国道390号線は沖縄県石垣市から石垣島、宮古島を通って沖縄県那覇市に至る、いわゆる海上国道で、総延長552kmもあるのです。(ただし実延長は63km)
早々にして切り上げ、クラブメッドに帰ってきました。
まだ3時過ぎで陽は高く海も綺麗です。
というのもここでは昼食後に遅い昼食というのがあって(2時~4時)レストランが開いているのです。
さっそく出かけましたが、少し甘いものが多すぎ、、、、
レストランの近くから撮ったパノラマ写真です。
この時期、雨の多い石垣島(後で知りました)ではラッキーな景色かもしれません。
明日はもう下り坂の予報がありました。
夕食までまだ時間がありますので散歩にでも出かけましょうか、、、、
ここは白浜とエメラルドグリーンの海が美しいので有名です。
この景色を約180°のパノラマにしてみました。写真が小さくて迫力がありませんが数枚の写真をコンピュータで合成したものです、クリックしてみてください。
次に訪れたのは、先ほど傍らを通り抜けた重要伝統的建造物群保存地区です。
この島の住人は400人弱と少なく、「路で現地の人と出会ったら運がいい」とはガイドさん(一人会いました)。
竹富島に新しく家を建てるときには伝統的な赤瓦の家に限るとされており、琉球石灰岩の塀と路に撒かれた白い珊瑚の砂が昔ながらの面影を伝えてくれています。
右写真は「なごみの塔」です。集落への連絡のために立てられたというこの塔は、島全体が平坦で最も高いのが家々の屋根とされる中で、6mの丘の上に立つ4.5mのこの塔は絶好の展望台なのですが、階段が狭くて急なため必死の思いで登頂しました。
塔の上から撮影したパノラマ写真です。
クリックして拡大してみてください。
これはドラゴンフルーツです。一本立ちではなく塀の上に乗りかかるように仕立ててあります。やがて月下美人のような花を満月の日に一夜だけ咲かせ、赤い実をつけるのでしょう。
季節はずれとはいえ、ここは南国です。
そこかしこに花が見られました。
集落の家々の多くには屋根の上にシーサーがおいてありました。
シーサーは、沖縄県などでみられる伝説の獣の像で、災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つといいます。
白い珊瑚の路をサクサクと音を立て、キョロキョロしながら歩いていたら、突然に現れた水牛車に驚かされました。
この島にも水牛車で観光をするオプションがあったのです。
でも水牛さんには海の中がよく似合っているように感じました。
ということで私たちは竹富東港に戻り、帰途に着きました。
帰路に乗船する高速船がやってきました、「ちゅらさん2」と書いてあります、どこかで聞いたような、、、、
あっという間にもう石垣港に到着です。
船窓から誰かが石垣島を撮影しています。
到着後、約1時間ほど市内見物(といっても港周辺ですが)とお買い物です。
730という名前の交差点に写真のようなモニュメントがありました。
これは戦後アメリカ領であったこの地が右側通行であったのを、1972年の沖縄返還後の1978年7月30日午前6時をもって一斉に左側通行へと切り替えたことの記念碑なのです。
ちなみにこの730交差点は日本の国道の最南端、かつ最西端です。そしてこの国道390号線は沖縄県石垣市から石垣島、宮古島を通って沖縄県那覇市に至る、いわゆる海上国道で、総延長552kmもあるのです。(ただし実延長は63km)
早々にして切り上げ、クラブメッドに帰ってきました。
まだ3時過ぎで陽は高く海も綺麗です。
というのもここでは昼食後に遅い昼食というのがあって(2時~4時)レストランが開いているのです。
さっそく出かけましたが、少し甘いものが多すぎ、、、、
レストランの近くから撮ったパノラマ写真です。
この時期、雨の多い石垣島(後で知りました)ではラッキーな景色かもしれません。
明日はもう下り坂の予報がありました。
夕食までまだ時間がありますので散歩にでも出かけましょうか、、、、
0 件のコメント:
コメントを投稿